完結!左脳・ロジカル派のための、感性を取り戻しワクワクを生きるワークショップに、そっと参加していたことから現状について

前回のあらすじ=

わたしの家庭は「愛がない」
誰もが誰も愛がなんなのかわからかった。
仕方ないとは、わたしをダメな人間として扱うことが解決されていない心の疼きを埋めていたようだ。
わたしはわたしで本来背負うべきでない親自身の課題を背負っていた。

しかし「本当は他の誰よりも遥かに強くいちばん優しい子」と、明美ちゃんから告げられた時

涙と共に荷物も下りた。安堵で心が温かくなった。



この直後。締め付けられていた喉も開いたようで空気がスースーと通り、とても呼吸がしやすくなっている自分に驚きました。

そして役割ではありながら父や母役を果たしてくれた人に対して、泣きじゃくる子どものように

「ぼくは悪くない」「ぼくは居てもいいんだよね」

と言い続けていました。

母役の彩ちゃんは、本当のお母さんのように

「いいんだよ。もうココにいていいんだよ。愛が私もよくわからなかったの。でもゴメンね」

と謝りながら、承認の言葉を優しく投げかけます。

ぱくたそ

母が産まれたばかりのわたしを抱っこしている、ぶどう狩りに連れて行ってくれて一緒に写っている写真は何度となく見ましたが、子どもの頃からずーっと違和感がありました。

それはわたしが「この世に真に産まれて来たのか?」という疑問と「生きてこの世にいる」という実感がまるでなかったこと。

そう!像がはっきりとしていない、幽霊のように透けた存在とわたし自身が感じていた事が理由だったのだという事も、はっきりと気がつきました。

「ぼくは産まれているよね。生きているよね」

と思わず、確認の言葉を発してしまいました。

少し落ち着いたところで、彩ちゃんがピアノを演奏。わたし、立花さん、他の参加者と一緒に楽器を使って音を出しました。

音楽療法の一つでしょう。曲を演奏するのではなく、わたしの心の動き、感情を奏でるのですよ。初めは静かに小刻みなのですが、次第に楽器の鳴らしかたが大きく、リズミカルになって行くのです。

誰がリードするでもなく、ピアノの伴奏、他の方々が持っている楽器もわたしの感情に自然と合わせるがごとく、大きくリズミカルになっていくのでした…

わたしの大まな板はこれにて終了。みなさんにお礼を言って、休憩を挟んで、シェアとフィードバックをしました。

ぱくたそ

夕飯時も明美ちゃんが隣座っ下さったり、立花さんが話掛けてくださったり、また夜にはみなさんとお話したかったのですが(⌒-⌒; )

お風呂に入るのと部屋でノートに記録を残したりするのでいっぱいいっぱい。かなりエネルギーを使ってました。だるのではないのですが・・・なんとも・・・いい意味でwまるで自分ででなくなったような感覚で動けませんでしたァハハ・・(^д^;)

翌日2日目は彩ちゃんと明美ちゃんが、それぞれ別の方の大まな板を。わたしはボーッとしながらも感度のアンテナはバリ3←古っ!でしてから、かなり当てられましたね。後半はぐったり(;´Д`A

役に選ばれましたが同じように

「わたししかいない」

という理由で。

その上、他の方たちも「適任だった」というのですから。本当に不思議です!

こう書いていると大まな板だけが合宿のように思われますが最終日は天候にも恵まれたので、外で瞑想や気功をやったり

越後湯沢

立花さんの担当でやりたいことや夢を書き出すという左脳を使うワークもやりました。

個人的に面白かったのは、与えられたお題にしたがって「なりきる」というワーク。劇団員の表現練習ような。

初めは照れがあるのですが、ラストの方ではそれぞれがわたしが一番!とばかりになりきっていましたw

わたしにとっては、たいへん長い二泊三日の合宿となりました。濃密というよりも、時の流れが違う異世界ー精神と時の部屋?ーにいたような気が致しました。

プロ画

最近はというと、怒りや怖れはやって来ますが、かつての親から受けて傷(ビリーフ)による異常反応はめっきり減りました。

今までだとちょっとした事ー例えば人が無表情だったりすると気分害したのではないか?どうしよう!回復しないと思ったりーで、ぶわ〜っと頭がいっぱいになり、目の前の取り組むことに集中できなくなる。

酷いと自己防衛ではあるのですが、最悪の事態ばかりをあれこれ想定して=ネガティブな思考に囚われていました。体も動かなくなったりねァハハ・・(^д^;)

それが( – -).。oO(あ、怖れが来た来た・・・ )と感情の動きを見つめ(おお、これは悪い方へと考えようとしているな)(怖れる気持ちはあっても仕方ない)

( – -).。oO( うん、でも広げる必要もないなあ)なんて俯瞰許し、認め、止めることができるようになったのです。

するとスーッと消えていくのです。意識して抑えるのではなくて、本当にスーッと。月読寺の小池龍之介住職も著書の中でおっしゃっていますが「ただ見つめる」「考えない」「消えてゆく」というのは、このことかなと思いました。

あと、自分をなにもそこまで卑屈思うのと何かと人から攻撃される、不愉快な思いをさせられると信じきっていた(無自覚に)けれど、もう見つからないようにとコソコソすることもないな。

大丈夫。平気だよ。外国人のようにしゃんと立って歩いていい。むしろ、その方が魅力的だし、自信=ちゃろがちゃろでちゃろらしくあるような思いを持てるよなとも。

ビリーフの解除は一枚一枚薄皮を剥いでいくようなものですから、これからまだまだ出てくるでしょう。でも、それにこだわるのではなくて、わたしは

自分の心に興味関心を持ってから今まで。20年間もの間にたまった思考、学び、気づきの記録が残されていますので、それを一つにまとめることに致しました。

そして、もがき苦しみながらのうまく解脱(?)することができない再起不全(不能ではない)の方悲しみ、悩み、凹んでいる方に対して、

内にある自然治癒力(じねんちゆりょく)を引き出し、人生を描いていただけるような人「ライフデザイナー」を目指したくココに記して、この合宿シリーズを完結にしたく思います。

ではご唱和下さい!!

今まで生きてこれた!大々成功と言っていいだろう!!
( 0w0)ノ ウェーイ

長々とおつきあいありがとうございました。

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