「動き」がないと水だけでなく、人の頭も心も体も腐ってくる。

ふいと思いついて、外に歩きに出かけました。言うても深夜0時に。防犯や睡眠の観点からしたら決して好ましいことではありません。しかし歩いてみると、どうも体のほか頭も心も「動かす」ことしてみたかったのだなと気づきがありました。「動き」「動く」ことについて、お話しましょう。

身体、水の如し

サイクリング

昔から「流れる水は腐らず」と言われおります。川や海のように流れる=常に動いている、停滞がないと腐敗しないということ。これを人に例えて「やることないから腐った人間、しょうもないことすんや!!」と言ったところでしょうかw

部屋に篭って長い時間、SNSやLINEをなどでiPhoneを眺めていたり、TVを眺めていたり、読書ばかりまた仕事とは言えフェルティングばかりしていると体が重くなってきます。ウェイトではなくて、なまってくる重たさと言えばしっくりくるでしょうか。もしかすると「動き」がなくなる事で、何か心身に影響を与えているのではないかとわたしは思ったのです。性格が外交的・内向的。嗜好でアウトドア・インドアという違いはあったとしても(どちらが悪いという話ではありません。よく活動的「だから」いい、スポーツしているの「だから」間違えない。それらはまるで社会通念のような感じを受けることが度々あるので。敢えてここで言わせていただきます)、全く「動き」のないことで澱み、腐ってくるのかなと。 人間も、成人なら約60〜65%は水分だそうですし・・・

心動かせば澄む

猫

体だけでなく、心も頭も「動き」がないと澱んできます。どよーんとしてきたりしませんか。心の動き、そうですね。ここでは「震わす」と表現するとしましょう。ウキウキ、わくわく、心震わすのは気分がいいものです。わたしがアートー音楽、絵画、演劇などーに触れるのはズバリそこにあります。エレガントぶっている訳・・・少しはあったとしてもw一番の目的は心澄み渡らせる点に置いているからからなのです。

正直、誰のいつ頃の作品というのはどうでもいい。背景を知っていれば、今以上の震動を起こせる可能性は無きにしもあらずですが、なぜならそれは、知識や教養です。興味関心があれば、あとでも調べたり学べますから。しかし、生の絵画、演劇、音楽を前にして、五感を働かせ「震わせる」時・場所は正に今この時しかないのです。感性とか精神性にダイレクトにつなげるのなら、むしろ知識は邪魔にさえなることもあります。

JAZZのうんちく先行主義。背景を主に有難がって「いいよね〜」ってヤーツ。それはわたしからすれば、脳みそで聞いているようなもの。すごいJAZZMENが演奏した曲だと知っている。「だ・か・ら」いい曲!!では、心への「震え」は浅くなり、知的な自分に酔ってしまうだけで終わってしまうのではないでしょうか。辛口ながら震わすことを目的としているわたしには、無意味と言ってもいいくらいです(失礼)。また、楽しんで頂こうとしている演者の方々にも申し訳ないです。「震わせる」によって、感性とか精神性とか言う心を澱ませない、腐らせないようにしたいものです。

頭に詰め込むことは「動き」なのか?

セミナー

体、心と来れば、次は頭。セミナーや読書での学びは「動き」なのでしょうか?少し考えてみましょう。

大人の場合、出世や転職、独立ややりたいことの為、即ち、自分に取ってより好ましい方向へ進む、あるいは抱えている問題を解決したいが為に勉強をしていると仮定します。学びが動きであるならもはや、わたしもあなたも相当好ましい状況下にいるはずww悩みもなく、たとえ新たに発生したとしても、十分「動き」はあることになっているのですから。澄んだ頭でサクサク解決してまうでしょうね。ところが実際いかがですか?「まだ足りないまだ足りない。」「もっともっと」と詰め込むことばかりしてはいませんでしょうか。

頭に詰める(セミナーに通う等)も”動き”と表するのは間違いではありません。しかし、ここでいう「動き」とは澱みをなくし、腐らせないこと。それを目的としたものです。問題解決せずに、モヤモヤしているようならば、それは頭についての「動き」ではない。そうです!頭に詰める行為ではなく、中に入れたものを「動かす」こと。そうですね・・・「実践する」。かっこよく「アウトプット」なんて言葉を使うのは如何でしょうか。詰めたものを頭の外に向かって出す=「実践」「アウトプット」こそが、頭にとっての「動き」ではないかとわたしは思います。

学ぶも動きの仲間であるが故に恐らく、勘違いしてしまうのでしょうね。
「実践して」「アウトプット」して内から外に出さないとならないのに、どんどん外から内に入れてしまう。知識のまま活かされず=頭に動きがなくなるので、当然の帰結。解決も好転もないどころか澱み、腐敗(モヤモヤ、イライラなど)が起こり始めます。こうなると本来の目的でもある解決好転の為に必要な「実践する」はどこへやら。にもかかわらず、まだ必死にあれやこれやと詰め込み続ける。さらに「実践する」「アウトプット」する時間は益々取れず、しなくなるのではありませんか。手段(学ぶ)が目的に取って代わり挙句、積ん読ならまあいいでしょう。セミナーホッパーや勉強会依存症になる方まで出て来ます。大切な時間とお金を使っているのに、ただ腐らせているだけなんて・・・。「実践(アウトプット)する」動きにもっと意識しませんか。そして、血肉に致しましょう。詰め込み過ぎれば、箱なら壊れます。部屋なら狭くなります。お腹なら痛くなるものです。

ちゃろ思ふ故

花
動くことで鈍った体、心、頭を回復させるというより、濁りからすぐに脱出出来る。愚痴やぼやきを吐きたい時もあるでしょう。しかし、吐き続けるのは、あなたの性格や周りがいけないのでなく、何かの原因で「動き」が足りない為に澱みが中々消えない。もしくは心身頭脳のいずれか、または全部に腐敗が始まっているからかもしれません。アクティブでないとダメとは違うのはお読みになってお分かりかと思います。内向的、インドア派の方に、毎度ながら松岡修造さんばりに動きなさい、全力思考(前向きとは違います)でいた方がいいなんて間違っても申しません。

無理なく動くことなく。かといって全く動かないでいるのではなし。心の箇所で申した震え。せめて小さな振動を加えるだけでいいんです!イラストが好きなら、うまく描くより好きに描く。本を読んだら出来るようになるより、一つだけやってみる。話し下手なら、相槌上手でいるものいい。嬉しい、楽しい、素敵だな、よく頑張った。着手できた。

ぶるぶる、マナーモード程度の動きを心体頭に与えて参りましょう。

Leave a Reply