神奈川県稲村ヶ崎 月読寺坐禅セッションにてココロのお稽古をしました

住まいから90分程度かけて湘南・鎌倉方面にある稲村ヶ崎まで
出かけました。昔、映画の舞台にもなったサーフィンの聖地でもあります。

言わずもがな波乗りしに来た訳ではなく坐禅会があるというので。ハイ

道場までの道筋

坐禅と申しても雑念や煩悩を払って云々というものではなくて、
昨今ブーム(?)の瞑想とかマインドフルネスのようなものだとお考えいただければ
良いかと思います。

ブログにも書きましたがようやく「心静かに穏やかに」暮らす、生きるをテーマに、具体的ではないもののそちらの方向にシフトしようと自覚しましたものですから
行動、実践の一歩としたく参加した次第です。

会場は江ノ電の稲村ヶ崎駅を出て徒歩10分程度のところにある月読寺。

山間の住宅地を進みまして、右に曲がると

稲村ヶ崎

ぴゃあ〜〜!この急勾配。この日はユビグツこと愛用のヴィブラムを履いておりましたが、中々の足取り。帰りの下りの方がきつかったです。登り切るかどうかのところ
右手にありました。

さて、寺とつきますが建物は

稲村ヶ崎

このような感じでして、入り口も

月読寺

えっ!?マジでか??という佇まいww道場と申した方がしっくり来ますね。

言葉を発することは厳禁!?

さらに細い通路を登っていくと玄関がありまして入場。
靴はたくさんあるのですが・・・

シ〜〜〜〜〜ン

ユビグツ脱いであがると畳敷きの部屋に人がズラリ
すでに十数人いらしているとは思えない静寂ぶりでした。

目を閉じて座している人も多く、小池龍之介住職もいらっしゃいました。
(もちろん瞑想中。まるで寝ているかのよう・・・)

お話はしないようにと玄関に小さく書かれているとは言え
いらっしゃい、おはようございますの挨拶もなし!!
ここまでとは・・・さすがには面食らいました。

静寂にするというより禅道の考えでは話すことにより
心のざわつきが高まると考えられています。煩悩のむくむくと出てきますしね。
とくにセッション前だから、高ぶりあるままではとの住職のご配慮らしいです。

なので、とてもではありませんが写真は撮れませんァハハ・・(^д^;)

でも、伝家の宝刀!出でよ〜〜One Cam

とばかりに数枚は↓

月読寺学生さんらしき人 スーツ姿の方、本格派?作務衣姿の方 老若男女が参加。

月読寺
↑こーんなお座布?に座って、組むんですよ。

セッション開始!!

9時。まずは法話のような説法のようなお話を聞きます。
坐禅にあたり心構えやコツにつながるのです。
今回は今、この瞬間しか「現実」は存在しないにもかかわらず、あたかも
過去や未来を現実だと扱ってしまう人間、脳の働きについて。
過去は過ぎてもう「ない」未来は未だ「ない」。今というこの時だけがある。しかしながら、こうして「今この時」と言っているそばから、どんどん未来も過去に流れて、その過去さえも流れ流れて去ってゆく。
今と言っても刹那の瞬間、点に過ぎないのに映画のフィルムやパラパラアニメの
一コマ=切り取られた一枚の静止画(点)を連続して動いているようにしかも、
パターン化されて以前こうだったから次はこうなると勝手なる先読みーセブン!言えばイレブンと続けるみたいなwーまでもして脳が見せているのだそうです
( – -).。oO(     難しい)
タイムラプス動画編集機能。脳内iMovieで作られた映像を我々は見ている。眼前に打ち寄せ引いて行く波でさえフィクションの世界。現実ではない。今というのは点であり、刹那だから。過去も未来も存在していない=もうない、未だない=無→リアルではないという意味。

実際にあった、これからあると思っているのはあなたやわたし、人が留めておこうとする。つまり「執着」が起こっている。後悔や将来を患うのは今、刹那の瞬間にも過去、未来という無いものに「執着」しているからなのだそうです。

なんか煙に巻かれたような感はありますけれど(*´σー`)エヘヘ
この話を元に執着を放して、座することに。

何か物音がしても、瞬時に過去に流れる。次はこんなことー先述で言うとイレブンの部分ーが起きる思うのはフィクションなので、意識を向けず、ただなんか起きているな〜で流すとして、60分みっちり組みました。

気持ち良いというよりは体に変な力がかかっているな〜、ここの部分が痛いぞ!とかが明確にわかります。でも、その気になるところも一瞬の不快、苦痛であって、連続してずーっと続くわけではないというのは感覚ながら理解できました。痛みが続くと確かに勝手に自分が思い込んでいるなと。

ちゃろ思ふ故

IMG_0171
この後休憩挟んで、また坐禅を組みました。その前に別の説法、コツ話を聞かせてくださったのですが、ただでさえ文章にするのがうまく出来ないのにこの手の話です。結構、つかれました(●´ω`●)ゞ エヘヘ♪今エントリーではこの辺で。

わたし個人は頭と五臓六腑4:6でボンヤリ掴んでおる(つもり)のですが。あなたにお伝えするには「ごめんなさい」としかいいようありません。

今この時を精一杯生きる!とよく聞きますし、言っている人がおります。
坐禅セッションを体験して思うに「言うのは易し、行うー身を以てして理解、腑に落ちるーは難し」。刹那を捉えるのは理屈や頭では絶対無理無理っす!息詰まっちゃうw
そういうお気持ちで生きなさいよという、ハッパかけの言葉ですね。

「一日一生」が出来れば大成功ではありませんか。まずは自身が幸せ-仏道では満ち足りるを指すのだそうですが-であること。幸せであろうとの思いで十分ではなかろうかと思いました。よく生きるのは二の次٩(๑❛ᴗ❛๑)۶うまく生きるなんてもっと次〜〜〜!!