邪念的感情を持った自分を叩く位なら外に出してもいいと思うの

運を寄せるというのでしょうか?ツキが離れないようには
ネガティブな言葉使わないなどと申します。悪口、愚痴、不満、
怒り、泣き言、ボヤキなどなど。

ふむふむ。世に言う成功者と呼ばれるーちゃろはこの言葉の確定的な
意味が今ひとつよくわからないですがー方々はあまり使っていない
ような気も致します。

で、パンピーが幸せになろう、素敵な人間になろうとして、
極力使わないようとする心構え。たいへんご立派ですし、異論は
ございません。

しかし、ネガティブな言葉を発したくなる感情、
自身の気持ちというものは?はてさて?
どうなさっているのでしょうか?



溜まったネガエネは既に出すと決めている!?

ゴジラ

邪念のような自他共に好ましくない感情を抑え込んで、
自他を叩いてしまう=ダメだとバッテンをつけるのなら辛いばかり。
とても幸福で心穏やかではないと思います。

抑え込むとちゃろさん的見解では(特に負の感情に対して)
無感覚になる危険性とネガのエネルギーはたまる一方。
それが長年に渡れば、心身になんらかの支障をきたし、
さらに思考も真っ当ではいられないというものではなかろうかと。

たまるエネルギーを仏教では業(カルマ)と呼ぶらしいのですが、
それはいつしか必ずや外に出てしまうものなんだそうです。最早、
出る、出す、と決めてしまった事のように。

「しまった!もっと違う言い方があったのに!Σ(∩˃͈ ╻ ˂͈ ∩)‼︎」

となるのも、業がたまった結果。怖い気も致しますが、決まっていた。

感情をコントロールしよう、心を豊かにしようという視点でないのが、
歴史のある思想でありながら、中々面白いなとちゃろの関心を引きました。

さららと流るがまま

IMG_1023

後悔や反省、お相手に対する申し訳なさはあるものの、
吐き出したことで業は一旦リセットされる。だから今後
そうならないように致しますし、徳を積む気にも自然になる

先述の幸せになろう、素敵な人になろうとナチュラルに
流れていくのではないでしょうか。すれば、幸福で心穏やか
ですから、罵詈雑言、ネガティブに「なりよう」がない

さらに快を求める性にうまく乗れば、あーら不思議!
いちいちネガティブな言葉を使うのは止めようとか、
邪念のような感情を抑え込もう、素敵な人にならねば意識、

言い換えればどこぞで聞いたお話(理論)に従おうと
頭で考えなくなるものです。

ちゃろ思ふ故

ちゃろ

もちろん、業はまた次第にたまって参りますけれど
ー長くなるので詳しく本エントリーには残しませんがー
どんな感情でも抑える、無くす、修行して邪念を湧かないように
という対処療法ではないこと。

そしてご自身の至らなさ、未熟さだけが原因ではないと覚えておく
のも気が楽かと。外に出し(怒り)たくないのではなくて、
業、ネガを出した人様に迷惑をかける「自分」=カッコよくない、
素敵でなくなるのが怖いのかもしれませんし。

理詰めでは息がつまります。
他人は良かれとご高説を唱えますが、それが我を押し付けている
場合もあり。その御仁はもちろん自覚がございませんし、
責任は取ってくれません、ハイ。

思ふがまま 流るるがまま
平穏たれ 安穏たれ 苦「少なく」
幸せであれ