ちゃろオトン還る20年は経った本日は命日なりー思い出すことどもー【エッセイ】

今日9・23は父の命日。何度迎えたか忘れたが、
もう20年は経ったのは間違いない。

当時、知的障害者の施設に勤務しており、その日は
夜勤にあたっていた。朝の4時だったか電話が入り、
事前に信用のおける同僚に急があったら交代しても
らえるようにお願いしてあったので、即彼の自宅に電話。

当時は携帯電話がまだまだ持っていない人の方が多かった
のでご家族の方には迷惑をお掛けしたが、ありがたいことに
励まされてしまった。

そして、敷地内にある寮から先輩と上司が来て、その後病院へ向かった。

ちゃろ

着いたら頃には、父は落ち着いて眠っていた。
学生時代の心理学の勉強とワークが元で露骨に険悪な関係になったままで、
ずーっと過ごしてきた。

1週間前から薬のせいか、末期だからかわからないが
「ボケて」しまった。自分が会社に行って仕事をしている
気になって看護師さんに向かって話をしていたり、出勤しようと
スーツを出せと母に言いながら、体についた幾つものパイプに
お構いなくベッドから降りようとしたり、

また自分の死期を思っていたのだろう。当時、黒が好きだった
私の服を見ては「お前はいい」「白はアカンから、ちゃんと着替え
てな」と弟に指摘したりと葬式の参列に関することを言い出したり・・・。

それでも残り2日間は急に元気になって、とても気分と体調は
良かったようだ。聞いたことはあったが神様の計らいか?
人間、最期にとても元気になる時、日があるのだそうだ。

この1週間で、なんとはなしに父との関係が
和解の方向に向かったのだけれど・・・・(*´σー`)エヘヘ

ちゃろ

とくに何事もなく数時間が経つ。自分の中では恐れとか不安、
落ち込みとかはなく、どんなことになろうともクールでいられると
むしろ、肚を整えるのにいい時間となった。

容体が変わり、呼吸が荒くなってきた。ドクターや看護師さんが
駆け込んで、取り囲む。いよいよ、その時が来た。延命治療は
父本人が望まないという旨は知っていたが、それでもドクターは
確認を私たちに尋ねる。

母が「はい、そのままで。延命は本人が望んでませんから」と答える。
専門ではないので詳しくはわからないが、少しでも父が苦しまない
ような処置をしてくれた。呼吸が落ち着き、スースー言っている。

胸が上下に動いている。ここで母が「お父さん」と声を掛ける。
声を掛けると負担になる場合もあるから、今の今までしなかったらしい。

すると父は目を開けようとしているのはわかったが、開くことはなかった。
手を取ると、わかったのかわからないのか口元が緩んだような気がした。

「お父さん、お父さん」

と、母は静かに優しく声を掛ける。父はうなづくなり、言いたげな
風にも見えたが、それは気のせいだろうか?

ちゃろ

次第に胸の動きが少なく、小さくなってゆく。私は不意に
怒りが込み上げた。

( – -).。oO( 強くとかしっかりしろとか普段から言っておき
ながらテメェはなんだ!最期までちゃんと生き通せ!)と・・・。

「お父さん、もういいよ。たいへんだったね。疲れたよね。
もう痛い思いしなくていいよ。もういいよ」

と母がつぶやく。

その平穏とした時空間を破るように、繋がれた機械のシグナル音が!
ドクターと看護師さんが取り囲む。

 

午前8時半前、もがくことも苦しみのもなく静かにこの世を去った。

 

私は父の額に手をあて心で「お疲れさま」とその場で別れを済ませ、
そのあと親戚等々に連絡をしたり、会葬の手配を始めた。
その時の自分は今思い出しても不思議、いや気持ち悪いくらい。

頭はひじょうにクールで感情も揺るがず、夜勤途中の体でありながら、
しっかりしていた。今までが瞬時に非日常になると如何様にも
対応できるようにと精神、体、頭脳全てが変わる仕組み。

わたしは生きている。



雨天で墓参りにも行けず、自宅にてフェルティングをしながら
あの日のことを思い出し、エントリーとしてここに置いておきます。