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ちゃろの疾患テレビ病の治療について考える

讀賣新聞に編集手帳というコラムがございまして、
1週間前の12月3日土曜日掲載の中に「テレビ病」なる
言葉を見つけました。その言葉から思う事がございましたので
お話致します。お付き合いのほどを。

ちゃろはテレビ病に罹っている

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あなたは「テレビ病」って何よ?と思われたでしょう。
テレビばかり見ている人を指すことばではなく、イラストレー
ター山藤章二さんの著書『ヘタウマ文化論』(岩波書店)において

(テレビに)映ったときには必ず何かに面白いことを言わないと、
無能、芸なしと思われるんじゃないかと・・・

そのような不安になることを病気に例えた造語です。

この造語の意味にハッとなりました。そうだ、わたしは「人」を前にした
ときや意識したときに必ず何か言わないといけないと常に思っている
表面的には沈黙が怖い、喋ることが楽しい、ウケてもらえるのが嬉しい
が理由だけれども、深い意識下には

「何もできないわたしは恥ずかしい」

「ダメな自分なのだから喋ってないと」

という強迫観念から行動している。
正にテレビ病の症状だと気がついたのです。

自己低評価とモデルにメスを

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病人たるわたしは、自己評価の低さと勝手なあるべき姿=モデルに
もがいている。ですから楽しいのに苦しい。嬉しいのに辛いのです。
そんな葛藤に心は落ち着かず、精神は満ち足りること決してありません。

「刹那に精魂尽くす」と申せばカッコイイのですが、瞬間瞬間の
安堵を点とし、線になるのですから常時戦闘態勢。それは絶えない
渇望から緊張を強いているに他なりません。

省みると人を別れた後次第に、自覚し始める疲労感は相当のもの。
アルコールの勢いで正論という名の愚痴をこぼしている一部の
サラリーマンのエネルギー浪費の方がマシではないかと思うくらいで。

本物の病気になる-もしかしたらすでに軽い精神神経疾患になっているの
かもしれませんが-くらいなら、良い加減に落ち着きたいと願うなら
治療の必要性はあるでしょう。

テレビ病の根本的な原因たる己自身への羞恥心と面白いわたしなら
価値あり意識にメスを入れるのです。

面白くするのは好ましい。けれども、お笑い芸人さんやTVタレント
さんはお仕事でなさっている。だから、ちゃろが心穏やかにせずしてでも、
同じようにしなくてもいいのだよ。

緩やかに居るだけでも十分。同じ時、処で穏やかに居られる人たちが
いたとしたら、何もならないではありませんか。恥ずかしい人でも
能なしでも、無価値でもないのです。

記憶に上りはしないけれど、むかしむかし誰かに叩き込まれた
モデルと低い自己評価を自分自身そのものだと思い込んでしま
った
に過ぎないと認め、受容し、ゆるすのがよろしかろうと。

ちゃろ思ふ故

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テレビ病のお陰で周りの多くの人を魅了し、楽しませて来たことも否めません。
それよりも心穏やかにがいい、落ち着いて人と会えるようにしたい
のなら治療の必要=やめるという選択をしましょうということですね。

あなたがわたしと異なり「ウケることが肚からの願い」
「生き甲斐を感ずる」のなら、ぜひともお続けになる方が良いと申せましょう。
自己顕示欲は誰しもありますし、楽しく笑い合う雰囲気を作れるなんて
見事なスキルですよ。

くれぐれもご注意。テレビ病を「悪」として理由付けて不必要(治療)と
判断しないで欲しい。今までの自分に結局、ペケをつけてしまうので
罪意識は残るし、一番大切な自分自身への「ありがとう」と「お疲れさま」
が言えなくなりますから。