ありたいイメージを抱えてタラレバではなくベキネバ娘になっていませんか

「なりたいイメージ」をお持ちの方もいらっしゃるかと思います。
理想像という言葉に置き換えましてお話致しますと、将来に臨む自分であり、
すべてに満足している。なりたいどころか、なるべき、あるべき姿でしょう。

そのイメージに向かいい日々研鑽、邁進、成長しようとする意思たるものは、
たいへんご立派であることに異存はございません。

さて、ここでちゃろが

「理想像は大して必要じゃないみたい?」

なんて問うたら、あなたは如何思いますでしょうか。



理想像を抱えて目指すにあたりまして、あまりにも

こうあるべき、こうありたい、こうならねば

と、致しますと、人生という時間短く長い道のりにおいては、たいへんな
負担となりましょう。イメージは目指しているですから未達。理想からずれてしまうことは当然、当たり前にございます。

にもかかわらず,ずれた自分が許せない。たちどころにアカン!とペケをつけ、
もっとやらねばとなります。そしてズレる度、ネバとペケをつけ、ズレてはまた
ネバとペケをつける。

そんなことを繰り返していては、やがて疲弊してしまいます。おまけに一向に
理想の姿に辿り着かないのですからね。当の本人からすれば、
苦難に立ち向かう(わざわざ)ヒーローorヒロインかもしれません。
けれど、端から見るちゃろからしますとコメディーです。

早い話、自己の存在を受け入れて、これでいいのだという「承認」と申しましょうか「認可」と申しましょうか。

何かできる、研鑽成長すれば、人や社会に役に立っているなど「外条件」を満たせたからOKではなく、あくまで自分が自分自身に「ゆるし」を与えているのであれば理想像は無用でしょうに。

目標達成、最上志向の人ならまだしも、資質なきちゃろや抱えた理想像にがんじがらめになってしまう人は、東京タラレバ娘ならぬ「ベキネバ自分」になるのが関の山かと。

頑張って、未来を目指しているのにお疲れモードのあなた。
この理想像とは何かを考えて見てはいかがでしょうか。

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