立場が上であるなら、人は無自覚に残酷になれるー思い出すことども・其の壱ー

新宿での用事がやはり長引き、深夜に帰宅しました。突然でしたが、次いつ又会えるのか判らない友人たちと久しぶり会うと昔の話や興味のあった音楽についてなどを肴についついお酒が進んでしまうものです。帰るころには相当酔いが回っていました。前回のエントリーをその後2時半くらいには上げたのですから、わたしとしては珍しいことです。

ひとりぼっちのあなたへ

ただ昔のことを思い出すと、わたしにはいい記憶が正直数多くありません。心に深く入り込んで、未だに解決出来ずにくすぶり続けていることがあるのです。重いテーマであなたには酷な話でしょうから、途中で離脱していただいて構いません。この機会に向かい合い、いかなる事があっても、例え孤独になっても最期まで自分が自分自身の味方でいる事の必要性をお話し致します。もし学校や会社でいじめや”ハブられている”あなたはぜひ「ちゃろおじさん」にお付き合いください。

先輩、先生の横暴が「正しい」時代

スイカ割り

「人は過ちを犯すものだ」という言葉は、立場が優位にある者が下の者=過ちを犯した者に使う言葉である。下の者が使ったらそれは自己弁護どころか、自己正当化、言い訳と取られる恐れが多分にあるからだ。

中学時代。自宅から歩いて10分ほどの距離に学校がありました。当時、剣道部に所属していて、遅刻するとそれは酷い目に合わされてた。おしりを竹刀で叩かれるのは茶飯事でしたし、無茶な使いパシリや罵詈雑言も浴びせられました。わたしも鼻を噛むからペーパーを取ってこいと。ないと言えば「バカヤロー!女子トイレ入って持ってこいよ!!」って。作り話見たいでしょ?精神を鍛えて、我慢強くなりたいと思って入部したのとは言え、こういうことではない。断ると稽古と称してボコボコに殴られ、その後通常の生活でもネチネチなじられる。「コイツ、生意気でさあ〜」ってね。最近の事件を見るとたいへん無礼ながら、殺されなかっただけ良かったかな・・・亡くなった子供さんの無念はわたしには量りしれません。先輩だけでなく、今なら問題になる先生方の体罰。当たり前のように横行していた校内暴力問題全盛期のお話です。つまり年齢や立場など相手より「上」で、「信用」を持たれる人なら何をしてもいいし、ミスや横暴に対しても「「何かあったの?」「気持ちわかる」と許されるどころか、他人が気にかけてくれるのだな〜と、この齢で学びました。

「過ち」と知りつつ、手を差し伸べてくれた

手をつなぐ

朝練は早い時間なので、通学路の途中、後から自転車通勤の父が追い越して行くのです。「じゃなあ」とばかりに手を挙げて。父とわたしはこの頃いがみ合いもなく、まさかこの後に他界するなんて想像していませんでした。(ただ抑圧は心の方が感じていたようでチック症は出ていたのですけれどw)ある日、これは遅刻するなと急いで向かっているところに、父が自転車で後ろからやって来ました。前日、同じ部員が遅刻した事が理由で先輩にボコボコにされたものですから、自覚はありませんでしたが必死の形相だったかもしれません。わたしの前で止まり「乗って行くか?」と。わたしは遠慮しました。学校へは歩いて行くものだという観念がありましたし何より。二人乗りですから違反です。父は横浜で教習所の教官をしているので、なおさらアカンでしょwでも、親ですね。甘えさせるということではなく、理由は判らないにせよ、あまりにも必死な形相の息子に手を差し伸べようと思ったに違いありません。「いいから乗りな!」出た。結局押し切りww後ろにカゴを取り付けているミニベロ。そのカゴの部分に小型犬よろしく、ちょこんと腰掛け「運んで」貰いました。校門手前で降ろして貰ったお陰でわたしはボコボコにされずに済みました。

元気だった頃の父と唯一のふれあい

赤ちゃん

それからマメに「乗って行くか?」と父が声を掛けるようになりました。通学時の「運ぶ」ー「運ばれる」所業wを繰り返しました。楽やズルさせる気持ちは父にはなく、そんなに悪いことをしているのか、そんな自覚はわたしも微塵に感じていませんでした。慣れ?そうとも思っていません。3分もない実に短い時間。親子のコミュニケーションタイムで、愛情を受けた記憶も思いも感じがないわたしにとって唯一、父から受けたであろうという場面であったのです。それ以外に何も。とにかく嬉しかった・・・。のちに出会うカウンセリングの先生は「この時のお父様は、さぞかし嬉しかったでしょうね」と申しておりました。

しかしこの後、まさかの事態に・・・正しい人、優等生、悪意ある人から「話し合い」という大義名分を掲げた総攻撃をくらったのです。

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