自力でストレスから自由になる・セルフケアレッスンに参加して

1週間前、六本木のSONORA STUDIOにて「やりたいこと」をみつけるには?というテーマでお勉強をして参りました。
実はどうにも人間関係や仕事含めた人生がうまく行かず、これは自力でなんとかするのも限界かなと。そもそもわたし自身「何者なんや?」とまで混乱して参りました。勝手な自己イメージではなく、明確かつ客観的に整理したくなって来たのです。ラベンリングでもとりあえずは構わないので、ここ1ヶ月エニアグラムストレングスファインダー野望の会(自己承認魅力ワードの認識)などなどを利用し、専門的にまた第三者から見た「わたし(ちゃろ)」を知ることに致した次第です。ならばこの際、自分自身をコントロール出来るようにもなりたい!!また、自分のやりたいこともより判るようにしたいと思いまして、レッスン参加に至りました。講師はアヤちゃんこと、大塚彩子さんです。昨年、参加しました立花岳志さんの3daysワークショップの際にお会いしまして、今回で3回目か?4回目のお世話wwになります。参加した内容についてのお話致します。お付き合い下さい。

引いたカードに気づかされる

カード
参加者は初対面という珍しいケースですが、皆さん、それぞれに思う悩みある点では共通しております。
わたしだけじゃあないんだ・・・。と当たり前のことなのに、何だか妙な気持ち。きっと自分以外の人はモヤモヤした問題はなんとなくクリアしてしまうものなんだろうとわたしは思い込んでいたようです。まずは行われたのは「ZEN(禅)タロット」というカードを引く事です。なんだろ??わたしが引いたのは”コントロール”というカード。アベンジャーズに出てきそうw自分でコントロール出来るようになるカード!かと思いきや⁈コントロールしようと躍起になっている結果、元々持っている自分の魅力なり輝きが出なくなっていことを表しているのだそうです。逆でした。Oh no!! そうか・・・コントロールしようとすると余計に身構えるので逆効果なのですね。アイスブレイクの一コマでしたが、現状を見透かされたような、ヒントになったような。不思議な感じが致しました。



「やりたいこと?」って何?

そら
講義に入ると「やりたいこと」がわからない人は、参加しているわたし達だけでなく実に多くの人がいるのだそうです。また近頃「やりたいことをしよう!」と叫ばれるようにもなったために「みつけなければならない」と必死になって、疲弊してしまう人まで出ているとか。気の毒な話です。考えてみると叫んだ人も、たくさんの人に幸せになってもらいたかっただろうに、逆に罪作りになっているとは・・・。そもそも「やりたいこと」とはどういう事か?例えば旅行だとしましょう。ならば週末に出かけるもいいし、国内、自分の住まいから電車や車で数時間のところを行っていいのです。ところが、どうもそうではない。「やりたいこと」というと「レベルの高いものだ」と考えている節がある。週末旅行程度では「やりたいこと」ではない。違うという感覚に囚われてしまう。海外旅行も身近になったとは言え、まだまだ行ったことがない人もいるのに、それこそ世界一周するくらい、はたまた海賊王にでもならんがための冒険クラスでないと「やりたいこと」とは言えないと感じてしまうのだそうです。確かにやりたいことではあるにせよ、これだけ大きいといくら何でも見えなさ過ぎ=わからなくなるのは当然です。しかし、物足りないような感覚はわたし、わからなくもありません。

 なんでわからなくなるの?

セルフケア

レベルの高さだけではございません。子ども時代に親や先生から言われ言葉が原因だったり致します。それは「しなさい」&「しちゃだめ」。この二つの言葉のシャワーをさんざん浴びたが故、それがいつの間にか第一判断になり従ってしまうのです。自分では心の底ではやりたい、好ましいと感じているにも関わらず「やっちゃだめ」「それ以外のことをしなさい」と言われ続けたがため、さも自己判断の如く反応、オートマチックに意思決定してしまう。パブロフの犬ですよね。あなたは「やりたいのに何で?」と疑問に思うことでしょう。ここにもう一つ根っこがあります。親や先生からの愛情や承認を得る、大袈裟言えば「生き残る」ためには「しなさい」&「しちゃダメ」に従う必要があった。子どもは無力です。生命の危機から庇護に置かれるのには、自分の感情よりも大人のいうこと、とくに身近な親や先生の言うことの方を優先しなければならなかったのです。(自分の気持ちを優先したが為に見捨てられないようにと)やりたいを「感じない」ようにし、さらには「なかったこと」にしてしまうのも原因なのだそうです。

” わからない”ということはメリット!?

ねこ

なんだか悲しいお話ですよね。ところが「わからない」というのは悪いことばかりではないのです。感情の波が立たずに済む(好ましいことに対しても、嫌なことに対しても)。それでいいと思い込んでいれば心がざわざわしない。平静でいられる。それに「やりたいこと」が「わかってしまう」不都合=やる必要が出てきてしまう。「えっ!?それって良いことでは??」いやいや。考えてみて下さい。やりたいことをやるというのは隅から隅まで(自己都合の)いいことばかりではないのです。重い責任や干された時のセーフティネットがないなど、不味い理由もセットとして、もれなくついてくるもの。やる必要がない、やりたいことがわからなければ、それこそ「不都合な真実」と恐怖のご対面をせずに済むのです、ハイ。

“やりたい”は内から湧き出る泉の如し

セルフケア

 でも、そんなの嫌だよ〜というあなた。おめでとうございます!!!では、どのように考えれば良いのでしょうか?大塚さんのお話は以下の様でした。
1)動機に着目せよ。
簡単に言えば、それ本当にやりたいことなの?と再確認してねということでしょうか。本音の本音は自分の空洞をただ埋めたいからかもしれない。人から注目されたい。尊敬されたい。ちゃんとしていると思われたいetc.「したい」=隙間をうめるものが欲しい≠やりたい!ということです。英語だとそれはtakeですね。実際にやりたいことというのは内から湧き出る、もはやすでに自分の中にあるのだとか。病気を撲滅したい、学ぶ楽しさを知る機会を提供したい、旅先のきれいな風景を見せたいetc.私の中にあるもの(喜び、好感覚)を見つけ、だからやりたい!!が真のやりたい。英語だとgiveに近いもののようです。
2)私はどういう事が喜びなのか。喜びに焦点をあてる。
つい形(職業、職業名など)を思い浮かべてしまいがちですが、形とは自分の喜びを表現する媒体に過ぎない。喜びとは自分が味わいたい気分であり、また本質のこと。つまり、喜びが真なるやりたいことなのです。なるほど。確かに先の学びの楽しさの提供で言うなら、苦難をクリアして進学することの「喜び」なのか、おとなになってからの新しいことを知る「喜び」なのか、はたまた海外で学校を設立して通学できる「喜び」なのかでは、形は全く違いますよね。
3)瞑想
己の求めているもの、好ましい気分となるものを、オートマチックから抜け出し自己回路に従えるようにするためには、静かに自分の感情と向き合う必要がある。それには瞑想という自分の呼吸に意識を向け続けるという方法が好ましいそうです。(実際に5分程度やってみました)

 ちゃろ思ふ故

 

形にばかり執らわれていた上、いいところ取りしようとしていました。今の生活態度と人生も自己回路とオートマチックの割合がどのくらいかはわかりませんが「自分が好ましい」と選んでいる=一種のやりたいことのようにも思えました。また、*ビリーフとなって動かされているのかもしれませんし。少しずつ、独りで探求して参ります。あーだ、こーだ言って下さるのも、そのようなお気遣い下さる方も有難い事ですが、それでは頂いた「情報」に踊らされてしまうようで、わたしには素直な感情、自己回路を駆使出来るのは、いつになるのやら・・・。おっと、コントロールし過ぎないでしたねww毎度ながら「群れて死ぬより、独り(自分)で生きよう」のフレーズを胸に時折、こうしたレッスンやテスト、自ら選んだ本やお話、コーチングのお力を拝借致しましょう。

彩ちゃん、ありがとうございました。

*ビリーフとは?
あなたの中に知らず知らずに「入って」いる思考パターン。それは、自分自身のことを、小さく否定的に思わせたり他人や世界のことを、冷たく恐ろしいものに見せたりして、結果として色々な形でストレスを生んだり、望まない現実を引き寄せたりしてしまいます。ストレスとは、他人や現実そのものにあるのではなく、他人や現実に対する自分の思い方・反応の仕方こそが、ストレスなのです。
そのストレスを生む「製造元」が「ビリーフ」であるとも言えます。ビリーフは、ストレスの元となるばかりでなく、本当はほしいものや望む結果がどうしても得られないという人生の「制限」の中に、あなた自身を閉じ込めてしまうことになるのです。
大塚彩子/SONORA STUDIO HPよりお借りしました。

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