無事これ名馬。あなたは生きているだけで大成功である

お手伝いの業務自体は面白いのですがね。ちょうど怪我もしましたし、特殊なガテン系のためにカラダの節々に負担もかかっていたので、これはこれで良いタイミング?お導き?なのかもしれません。月曜日から突然、お盆休みになりました。

研磨
それに記録的な猛暑が続くの中、このような格好↑をしなくて済みますからw OKOK!!!

何か大きな力が働く?

赤坂

思い返すとわたし。自覚症状なく限界を超えそう(または限界ラインの突破直後)な際に、大きな休みと申しましょうか、仕事が出来ない状況になっています。例えば、福祉の仕事に携わっていた折に人員配置が考慮されず、孤軍奮闘していたところ、足の剥離骨折で緊急入院したり、たたかう本屋さん時代にはストレス満載状態でこなしていましたら、プライベートでフラれた挙句、ウツになったりァハハ・・(^д^;)もちろん複数様々な原因はあるとは思うものの、大事に至る前に、ナニか大きな力が働いたような気がしてなりません。カミサマやらスピリチュアリズムのお話と捉えて頂いても結構ですし、そういうのが苦手なら自己選択の結果という事でもいいです。とにかく感覚のお話恐縮ですが、自己保存、己を護ろうとしたには違いないようです。生命の危機、キツイ言い方をするなら正気でいらすれない寸前になると人って(ん?わたしだけ?w)、すごい事が起きるものだなと。大怪我や心の病になるのが良いという訳ではなく、そのままでいたら自己保存するためのすごい事=怪我でも病気でもがなかったら、もっと酷い事になっていた可能性が高い。それこそ不幸のどん底になっていたであろうと言いたいのです。それは苦しみましたが復活出来る程度、また命あっての物種で良かったという話です。(そこまでがんばらないで、降参するのがBestですがね。)

幸も不幸も無常。移ろうもの

ジバニャン

さて、あなたにお伝えしたいのは、大きな力があるよ〜ということではなく。ゼロではないのですがww人生何が不幸で、何が幸せかなんてわからん!ということです。この出来事、環境、立場が幸(不幸)だと完全固定化しているのは、その時点での自分(の気持ち、考え、捉え方、意識など)都合なのです。ある時は「良かったなー」が、ある時点には「やっぱりツイてなかったんだ」と捉えてしまったり。時が経ってから当てるフォーカスが変わって「あれはあれでラッキーやったんかも!」なんてw「見方を変えなさい」とか、ご立派な方々が書籍やネット上で申しておるのは、そういうことなんですね。でも、わたしは言われて、ハイ出来ます!なんてものではないと考えております。あなたが知らぬ間に重ねた時、経験、学びからフォーカスをいじる「準備」が整い、アラ?いつの間やら・・・で見方が「移る」。変えるのではなく、変わるではと思っています。別の方向からも見れるんだ!という気づきに近い。幸不幸の認識は移り変わると捉えるのもありではないでしょうか。どちかに強く感じる、その時その時で異なるという話です。今は不遇でも、結論(完全固定化)づけないで欲しく願うばかりです。

ちゃろ思ふ故

ちゃろQ

うまく行こうが、いつまで経っても目がでなくとも。今が不幸としか思えなくても、昔はしあわせだったとしても。それは無常なので、安心して心配しましょう。

ピクサーさんの映画「インサイド・ヘッド」の台詞をお借りすると

無事に生き残れた。大成功である!

ハイ。とりあえずはしあわせでも不幸でもなく

「大成功!」なんですって。あなたもわたしも!!

あとは極限MAXの際に発動する大きな力たる自己保存力を使うまで、がんばらないようしたいものですね。

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