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深夜0時の闇の中、久しぶりにちゃろは泣いたんだ【エッセイ】

どーん!と胸を突かれるとはこういうことなのだろう。
嗚咽する程、泣いてしまった。熱い涙が線になって流れるほどに。

このところ毎日、交際相手とLINEで話をしている。

昨晩の話。

深夜0時に近づき

「そろそろ寝ないと」

と、わたしのことを気遣ってくれるメッセージ。

もっと話をしたいだろうに・・・。

いかんせん、わたしが睡眠不足により体調、パフォーマンスが
祟りやすいのを知っているのだ。

「だなだな」

わたしも、いつも通りの返し。

すると、

「愛されているから」

「近くにいるからではなくて」

「ちゃろから愛されているから安心」

・・・。

月並みな言葉で言えば衝撃。
もっと相応しい表現があるはずなのだが、その時に出てこなかった。

とにかく、体の上からでも下からでもなく。
正面からでも後ろからでもない。なのにどーんと、
貫かれたような感覚が体内を走ったのは紛れもない。

同時に心地の良い感覚がパアッと広がる。
するとに間も無く、目から涙が浮かんで来た。

その旨をあの子にLINEで告げ、おやすみなさいとの挨拶で閉じた。

なんだろう、この感覚。嬉しいだけでは表現しきれない。
まるで憑き物が落ち、傷が癒え、マインドは優しいぬくもりに
包まれながらも、気力はみなぎる。懐かしささえ感じる。

そして、体にもエネルギーが充実。それら全てを含めた感覚だ。

遅れて脳が状態を自覚する。すると!

目から次々どころか、まるで塞き止めていた川が
決壊するかの如く、止めどなく涙が流れ出していた。
もう声を出ずして泣かずにはいられなかった。

振り返れば今までのこのわたしときたら、
相手のために良かれと思ってやったことは裏目裏目に出た。

会いたいというので、電車で数時間ゆられて会いに行けば
しばらくすると「甘えてダメになる」とか言われる。

ワイドショー程度の内容の話をしている最中、突然!激怒されたこともあった。
恨まれたり、嫌われもした。

違うんだ、違うんだと思っても、相手の感情は収まらず。
たとえ伝えたとしても

「そんな訳ない」「そんなこと(言葉)が出る訳ない」
「いいなんて思う方がおかしい」
「そのくらいわかるでしょ!普通。機微がない」と。

わたしの考えや想いは伝わらない。

何が悪いのか、いけなかったのか?さっぱりわからない。
ただ、傷つけてしまったのだなと、とても悲しくなった。

後悔もし、自責でいっぱい。

きっと人の心や気持ちがわからないんだ。
そうか、愛することができないんだ、わたしは・・。

そんな風に思って生きるようになっていた。

最終的には別れ際に嘘をつかれ、あまりのショックに
一過性難聴と失語、そして鬱に。

わからない、わからない・・・どうすればいいの?
愛ってなんなの?優しさって?

それからというもの、恋するような感覚が起きると、
フラッシュバックが起き、恐怖と息の詰まりで心身が震えるようになったのだ。

「愛されているから」

そんな言葉が、よもや生きているうちに聴けるとは。
それも今、一番大好きなになった(なれた)人からだ。

あの子に好かれよう、目の前ではカッコよくいよう、男らしくしよう
と、全く思っていなかった。今までのまんま、ちゃろのままを通していた。
そのままのわたし。

その効果か。年またぎに交際の申し出をする時に
フラッシュバックも恐怖による震えも起きなかった。

わたしは甲斐性がないし、男前でも、懐が広くも、優しい訳ではない。
もちろん「愛」なんて知らない・・・なんて、見下してもない
距離や時間、会う回数でなく、ただただ傍にいるかのように
わたしの想いと気持ちはあの子に向けていよう!

あの子が心から喜び、自分を好きになるような
ハート型のメッセージを投げ続けさせて貰おうと思っていただけだった。

なのにキャッチして、投げ返してくれた。
近くにいるからといった「条件」でなく、
「ちゃろから」、わたしだからというではないか。
ただ在るだけのわたしで「愛されている」と。
「安心」というワードまでついて。

(愛してくれたのは、あの子の方なんだ)
なのに・・・。

うおんうおん泣いた。泣かずにはいられない。

「認められた」「伝わった」「受け入れられた」そして
「愛せた」「愛することが出来たんだ、わたし」
そんな数々の言葉とやっと報われた、解放感なる安心に包まれながら

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間も無くお誕生日( 0w0)ノ ウェーイ

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ちゃろオトン還る20年は経った本日は命日なりー思い出すことどもー【エッセイ】

今日9・23は父の命日。何度迎えたか忘れたが、
もう20年は経ったのは間違いない。

当時、知的障害者の施設に勤務しており、その日は
夜勤にあたっていた。朝の4時だったか電話が入り、
事前に信用のおける同僚に急があったら交代しても
らえるようにお願いしてあったので、即彼の自宅に電話。

当時は携帯電話がまだまだ持っていない人の方が多かった
のでご家族の方には迷惑をお掛けしたが、ありがたいことに
励まされてしまった。

そして、敷地内にある寮から先輩と上司が来て、その後病院へ向かった。

ちゃろ

着いたら頃には、父は落ち着いて眠っていた。
学生時代の心理学の勉強とワークが元で露骨に険悪な関係になったままで、
ずーっと過ごしてきた。

1週間前から薬のせいか、末期だからかわからないが
「ボケて」しまった。自分が会社に行って仕事をしている
気になって看護師さんに向かって話をしていたり、出勤しようと
スーツを出せと母に言いながら、体についた幾つものパイプに
お構いなくベッドから降りようとしたり、

また自分の死期を思っていたのだろう。当時、黒が好きだった
私の服を見ては「お前はいい」「白はアカンから、ちゃんと着替え
てな」と弟に指摘したりと葬式の参列に関することを言い出したり・・・。

それでも残り2日間は急に元気になって、とても気分と体調は
良かったようだ。聞いたことはあったが神様の計らいか?
人間、最期にとても元気になる時、日があるのだそうだ。

この1週間で、なんとはなしに父との関係が
和解の方向に向かったのだけれど・・・・(*´σー`)エヘヘ

ちゃろ

とくに何事もなく数時間が経つ。自分の中では恐れとか不安、
落ち込みとかはなく、どんなことになろうともクールでいられると
むしろ、肚を整えるのにいい時間となった。

容体が変わり、呼吸が荒くなってきた。ドクターや看護師さんが
駆け込んで、取り囲む。いよいよ、その時が来た。延命治療は
父本人が望まないという旨は知っていたが、それでもドクターは
確認を私たちに尋ねる。

母が「はい、そのままで。延命は本人が望んでませんから」と答える。
専門ではないので詳しくはわからないが、少しでも父が苦しまない
ような処置をしてくれた。呼吸が落ち着き、スースー言っている。

胸が上下に動いている。ここで母が「お父さん」と声を掛ける。
声を掛けると負担になる場合もあるから、今の今までしなかったらしい。

すると父は目を開けようとしているのはわかったが、開くことはなかった。
手を取ると、わかったのかわからないのか口元が緩んだような気がした。

「お父さん、お父さん」

と、母は静かに優しく声を掛ける。父はうなづくなり、言いたげな
風にも見えたが、それは気のせいだろうか?

ちゃろ

次第に胸の動きが少なく、小さくなってゆく。私は不意に
怒りが込み上げた。

( – -).。oO( 強くとかしっかりしろとか普段から言っておき
ながらテメェはなんだ!最期までちゃんと生き通せ!)と・・・。

「お父さん、もういいよ。たいへんだったね。疲れたよね。
もう痛い思いしなくていいよ。もういいよ」

と母がつぶやく。

その平穏とした時空間を破るように、繋がれた機械のシグナル音が!
ドクターと看護師さんが取り囲む。

 

午前8時半前、もがくことも苦しみのもなく静かにこの世を去った。

 

私は父の額に手をあて心で「お疲れさま」とその場で別れを済ませ、
そのあと親戚等々に連絡をしたり、会葬の手配を始めた。
その時の自分は今思い出しても不思議、いや気持ち悪いくらい。

頭はひじょうにクールで感情も揺るがず、夜勤途中の体でありながら、
しっかりしていた。今までが瞬時に非日常になると如何様にも
対応できるようにと精神、体、頭脳全てが変わる仕組み。

わたしは生きている。



雨天で墓参りにも行けず、自宅にてフェルティングをしながら
あの日のことを思い出し、エントリーとしてここに置いておきます。

めがねを直して思い出すことども【エッセイ】 

またしても更新が滞ってしまいました。3連休にだったのにね。

「読まれないブログ」を名目にして自己記録さながら、
時に誰かの胸を打つことがあるので、このように公開しておるのですが。
さてさて5月連休にメガネをレンズを変えるついでに
 リペア?レストア?オーバーホール?をお願いして来まして、
27日金曜日にできたと言うのでエーイーヤーーー!!と
お尻を持ち上げ、速攻で伺いました。
リペアに出したメガネはレンズを遠近両用にして、
フレームを再メッキ。ツルや鼻パットを綺麗に交換したのです。



(ここから改行が修正できず読みづらいかと思いますがお許しを)

"この子"は私が20の時にアルバイトして頂いたお給金で
購入したもの。お年玉とか貯金ではなく自ら働いて稼いだ
お金で初めて買ったという代物。

 

 当時は昨今の鬼安メガネチェーン店なんぞは存在しませんし、
このタイプーロイドという丸メガネフレームーも流行ではなかったので、
隣町の小さなメガネ店にしか扱いがなく
(なんとか見つけ)てゲットした思い入れも深いのです。
購入時はそれはそれは嬉しかったですよ!!
そうそう!思い出した。
引き取りの際に、まだ元気でったちゃろオトンが付いてきましてね。
メガネ屋の人に食ってかかったっけ(ノ∇≦*) キャハッッッッ♪
テンプルからツルにかけての長さがデザイン上短くて、
ほとんど私の耳にかからなかったのです。それを承知で購入したのに
「んなもん、調整できるやろ!」
「うちのボウズ←ちゃろのことね 、そんな頭デカないやん!!」
とう、もう散々ぼろかす・・・メガネ屋さんには悪いことしたなァハハ・・(^д^;)
その後、オトンが地元で老眼鏡を作りに行った際
その店の技師さんがあまりの浅さに気がついて
 「ちょっといいですか?』とキュキュって直しよったけど!www
「ホラ、見てみ〜」
ちゃろに言ってもね✧˖°ˈ·*ε-(๑˃́ε˂̀๑ )プッ
めがね
さらにさらにこの子。
一度、左右をつないでいる金具が折れてー溶接が劣化したみたいー
しまいまして、生涯を終えることに。
ところが、駄目元で先の地元のメガネ屋さんに持ち込んだら!?
「なんとかしてみましょう」という
お言葉。
金具のパーツデザインは変わったものの接合して、
さらにメッキをかけて復活!!!上の画像のごとく。
これはすごいですね〜
あれから20年。今だにちゃろの手にあるという訳です。
すぐに壊れてしまう100均一商品
ポイポイとさもいいことをしているように廃棄する断捨離
わたしが抵抗感を持つのが、多少ご理解いただけるとありがたいです。
直して使えるから直すのでなく、気に入っているから直す。
直す、手入れをする度にこうした記憶が甦り、さらなる思い出を紡いでゆく。
新商品を次々と購入する余裕もよろしいですが、
味わい深き品を育てたような、ゆとりも中々良いではありませんか?

バイバイ、サンキュ(๑•ᴗ•)ノ愛しい人へー母の日に思ふー【エッセイ】

大型連休最終日。母の日でもある。
この日が来ると毎年、心がザワザワするのです。

出先から帰路につく前にミスドさんにてコーヒーをすすりながら、
そんな心情に向き合ってみました。

激しい憧れが憎しみへと変わる

母の日

ちゃろオカンに対するキモチ。愛情と憎悪の葛藤が渦巻いておりました

カーネションやプレゼントを贈るなんて拒絶反応が起きて…
エニアグラム・タイプ4の性質でイベント事に右ならえないのもありですがァハハ・・(^д^;)

精神の奥深くに未だ解消し切れていない母からの優しさ、慈しみといった「愛情」を求めている気持ちと、合わせて得られない事による「恨み辛み」で、泣き叫ぶ
子ども心があったのです。

愛と怒りは同居出来ない故、葛藤。これが原因でザワザワしているようです。
専門的に言うとインナーチャイルドからのメッセージ(なのかなあ?)

その子の声に耳を傾けずに今まで来た。知らなかった(意識化になかった)のは
否めないものの、心の住人とはいえ無視された子どものわたし=チビちゃんに
とっては酷い話でして(´・_・`)

まずは、わたし自身の問題ながら「ごめんなさい」「許して下さい」
今迄堪えて来て「ありがとう」「愛してます」と、ホオ・ポノポノとか
いうスピリチュアリズムで使う言葉を正にかけたくなりました。

女性に対するわたしの利己心と真心

セーラームーン

続いて気づきましたのは、母からの愛情をすがってでも欲しかった故、過去から現在までに出逢った「女性」に対し、程度はさておき、多かれ少なかれ「代理」を無自覚・無神経に求めてしまったのではないかと思いましたこと。

今までええカッコしいで恋愛や結婚には「向いてない」と表立って言い続けておりました。むしろ「してはいけない」という方がしっくりきます。

執拗な依存心が相手を悲しませ、怒らせてしまう「恐れ」とまたしても得られなかったという自らの「傷つき」に堪えられそうになかったのです。
随分と身勝手で独善的ですなぁ(-。-;

チビちゃん(&わたし)の望んだオカンは存在しない

鎌倉

そのように見つめている中、思い出しました。
昔、一度だけ母の日にカーネションを贈ったこと。

20年前になりますか?ドロップアウトする前に
短期間ながら医療機関際に勤めていました。

仲間内の看護師さんや薬剤師さんに

「あげたことないの?」「きっと喜ぶから」

と推され(圧されぢゃね⁉︎w)まして、あまり気乗りしないながら
一輪だけ帰りに買って帰りました。

その時のオカンは嬉しいそうというより、
戸惑いながらも微笑んだ表情を見せてくれたなあ・・・

コーヒーを一杯飲み干してΣ(´Д`)ハッ!!

こうした一連の流れからザワザワが今までわたしやチビちゃんが期待し、
望んだ母親像ではないばかりに怒っており、今まで解消されずに続いていた。

つまり、願うオカンと実像は違う、乖離しているということが「わからなかった」んだと、たどり着きました。

実際、イジメにあった時、ちゃろオトンにタコ殴りにされても、
助けて欲しいのに拒絶される、あまつさえ「オマエが悪い!」とジャッジされた。

心を込めて何かしても、嬉しいでも、ありがとうでもなし…
自己を殺してでも-チック症など様々な病気になるくらい-イイ子でいた。

得られない悲しみがたいへん深かったのは間違いありません。

でも今だから解る。お母さんとはこういうもので、こうしてくれないという観念があったのです。

さよならありがとう愛しい人よ

ちゃろ

自分のことを話しているのに妙な表現ですけれど、
実在しない母を知りチビちゃんは、寂しさから泣いていました。
わたし達が願ってやまない「お母さん」を追求して(の解消)は、
今日から今からの人生を歩むには枷にしかならない。

そう!バイバイが必要だと知ってしまったから。

わたしは嫌わず拒否せず、そんなチビちゃんを受け止めました。

もう一杯コーヒーを頂いて店を後にすると、
ちょうど花屋さんが。20年前と同じように一輪だけカーネションを買いました。

理想のお母さんとちゃろオカン(実際の母)にさよならと
ありがとうするために・・・

ちゃろ思ふ故

ドラクエ

自らぺたり貼り付けていた自分の気持ちを剥がせる時が来たのですね。
怒りの感情はありません。

寂しさと書きましたが、チビちゃんの泣き声だけでなく、
おしゃれボウズ・ちゃろのセンチメンタリズムでもあります(*´σー`)エヘヘ

手放すことは、ゆるすこと。すべては過去の事。
自らか触れに行かない限り、流れ消えゆくものです。

 

ちなみにカーネーションを渡した際のちゃろオカンですが

一言  「サンキュ」

 

童謡"ゆりかごの歌"の「ねんねこねんねこ」と

"七つの子"の「かわいいかわいいとカラスは泣くの」

とが頭に流れてきて不肖・ちゃろ。
眼に泪が浮かんでしまいましたウゥッ・・・(´;ω;`)

ココまでのわたしにしてくれた。
すべての悲しみと憂鬱にも「ありがとう」「さよなら」

死にたくなるほどの極限に陥ってからわかることもある(かも)

投稿するはずのエントリーネタを思い出せなくなり
違うことをww

2・1にインフエンザに罹りまして、想像していた以上に
しんどい体験しました。

その後、経済的な大ピンチを迎え、それはもう
すっかり追い詰められて・・・。

誰かに相談する訳にもできませんし、したい人がいても
タイミングってありますよね。そんな時にその方が問題を抱えていたりして。

また別の知人は自分から「話だけを聞きたい」と言っておきながら
「家族の調子が悪くて」と連絡がありドタキャン。
翌日、わざわざ頭を下げに来たものの、

連絡のあった日、電話向こうから奥さんの(事実は事実なんだから)という
声が・・・ですから、イラつきとなんだかなぁ〜と
いう白けが混ぜ合わさった表現しがたい気分が残りました。

どうも飼っている犬(=家族?)の調子が悪かったみたいですが・・・。

「他人の骨折より自分のささくれ」

なるほど、気になるのはささくれだよねー自分の。
この言葉、あながち間違いではないのかもしれません。

家族はというと以前、エントリーしました↓ので

左脳・ロジカル派のための、感性を取り戻しワクワクを生きるワークショップに、そっと参加していたことから現状についてー其の壱ー

読まれた方はご存知でしょうが一つ屋根の下の他人ですから
さらに話にならない訳でァハハ・・(^д^;)

自己責任、因果応報とは言え死んでしまった方がいっそ
どんなに良いだろうと考え、死んだでも虚しいだけだよなとも
逆に考える葛藤。
とにかくお金の工面で疲弊する日々でした。



安心してください!生きていますよ

ねこ

 

夢やらやりたいこと
今までの学び
交流いただいた人との付き合いなど

ええーい!ぶん投げてやる〜〜〜。
みんなヤンピコピンだぜ!!

とヤケを起こしたでもイジけたでもなく(珍しいw)
吹っ切ってみたところ、ナント!?

不可思議現象インクルゥーテイブ!!

今までの重く、悩ましいモヤが掛かった気分?頭?が
徐々に軽くなっていったではありませんか!!

エニアグラムでいうならステートが落ちている状態
ーわたし、タイプ4なので関連書籍によると
外界とシャットアウトしてしまうのが典型的な行動だとかー
じゃん!と言われかねないwww

でも、独り静かに思いにふけるようにしたのですよ。

病み上がりとあまりにも精神的、経済的に追い詰められた
反動でしょうかね?諸問題が一段落したあたりから
(脳なのか心なのか判別はつきませんが)

すると読んでもわからないかった書籍がスルッと理解できたり、
(捨てると言っておきながら)今までのさまざま「学び」が繋がったり。

積年の怒り、過去の傷を手放すことができるようにもなりました。

嬉しかったのは、いちいち日々の当たり前のこと
ー例えば食事や入浴などーにも有り難みを感じられること。
そして、自分をゆるし(受け容れ)始めたことです。

ちゃろ思ふ故

自死したくなるまで追い詰めなさいとは決して申しません。

意図的な追い詰めは「必死」になるから。
視界と思考が狭くなり、成果はそんなには
期待できなとわたしは考えています。

「もうこんな私はいや!」
「このままで人生終わるなんてゴメンだ」と奮起し、
自らを変えた方々はたくさんいらっしゃいます。

極限になってからわかるようになる、できるようになることもあるのです。
あなたの袋小路。行き詰まっていることがチャンスでありますように。