カテゴリー別アーカイブ: 思考

ブログを読み返して己を望み・ホンネを知る事ができたと思うの

週三日、一日置きにポストすると再開したブログは、
己を知り、嫌なことを浮き彫りにして、
余分な行動を発見するためにも続けております。

時折抜けてはおりますが、文末にまとめのように
4行日記を置いておいたのは、そういう理由からです。

2週間ほど続けた時にエントリーを読み返して
ーとくに【教訓】をーみましたら、以下のようなことを
挙げているちゃろがいました。

・思い描くような、納得する結果が出るかはわからない

・無理は一時的な推進力となるが、即効性はない。

・わからないから、やめた!やらない!!ではなく成果はお迎えすると考えてみては。

・功を急くと焦りにつながる。

・マインドワインディングから心静かにへとシフトしたい

・役に立つからではなく、してみたいでやる。

・一人一人の語りに耳を傾ける

・一拍置いてから反応する

・悟ろうとする慢心

・好きなことに取り組むのに息抜き、ご褒美は必要なのか。

など



これらから分かることは「ちゃろは・・・

*思うような結果=報酬といえる成果が出る、ないし
見えないと直ぐに放り出してしまうΣ(∩˃͈ ╻ ˂͈ ∩)‼︎

* なので、早くなんらかの成果を得たくなり、焦り、
頭も心も硬直化している。

*望む「成果」でなくとも「結果」とは過程(コツコツの積み重ね)なし
には出るものではないなと思った。

*未到来であるわからない成果を期待したり、意と反する結果を恐れるより、
実践の大切さをもっと知るべきではなかろうかと考えた。

*無理がかかり、長続きしないことの対策として、過程のおいて目の前に現れた事を
「お迎えしよう」というラクな気持ちで日々,Baby Stepで行きたい。

*ブログやトークネタになりそうだ、将来の稼ぎにつながるかも、
人様の役に立つかもという思いでなく「わたしがどうであるか」
面白い、楽しい、ふんわりまろかかになるなどで物事、人を選ぶ(ジャッジ)
すると良さげだなと思った。

自分の知っている事を伝えたいという欲は心のざわつきにつながる
プリンシプルの「心静か」から離れたマインドである。相手に話す時間を
渡せるように、一拍置いてから言葉を発するよう意識する。

自分自身について明確でないことにより、迷い、悩みが発生している。
見える化=リスト化を続けて、ジブン取説を仕上げる。

*しかし、それで全てが解決し、何事も知っているという勘違いをしてはならない。
その気になったのではなくて、それは愚かしい慢心である。学びや内省で得られた
気づきから悟ったというのも、是に同じだから注意したい。

人に耳を傾けることと己の道は己で決めるというのは矛盾しないみたいだ。

と仮定できる。

 

以上から

ちゃろ思ふ故

花

わたし自身が心から欲すること、反対に嫌なことを「スッキリ」させて気持ち穏やかに過ごす事を望んでいる。そして、思い上がりなき成果の為にはむしろ、いい人になろう、こんな態度・言動ではツキが離れてしまう、スマートに格好良くと自らを焦らせることなく、どんなちゃろでも
「成果はお迎えができる」という心持ちでありたい。

と知った。

さて、これを元にこれからの実践、言葉、ココロのお稽古を
進めていく事にする。ブログ活用( 0w0)ノ ウェーイ

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ツキが飛び込んでくる自己メッセージをやってみよう

出だし長めながら、わたしのことをお話しさせていただきます!いつもかァハハ・・(^д^;)お付き合いください。

世間さまと異なり、昨日仕事初めとなりました。昨年いくつか頂いた仕事の案件が年を明けても連絡がないため、止むを得ず現場の遠い仕事をすることになりました。

こういう時に限って妙なことは重なるもので・・・。午前に届くはずの荷物がトラックの事故により来ず、午後3時前くらいに到着したり。残業の挙句、帰路の電車が人身事故のため不通になったり。

その為に乗り換えましたら、なんということでしょう!乗る電車を間違えたではありませんか!さらに気がついて再び乗り換えたところ、向かう方面とは逆に乗っていた。これは気がつかなかった(´Д` )←わたしの問題ですねw

ポケットにツキは入っているものですが、夕方までは穴が空いていて、どこかに落としていた?知らんけど。



「いつもツイいない」とふて腐れる回路がある!?

ぱくたそ

こういうことがあると「ツイてない」と思うだけでなく、ふてくされたりしまう方もいらっしゃいますよね。人情としては理解できます。

ふてくされることで( – -).。oO( あ〜わたしツイてないんだ。うんそうなんだ )とこの時に限っては、感情を納得させれば、気が楽になるでしょうから。とは言うものの、

あくまでこの時「限り」の「感情」を落ち着かせる方法であって、これがクセになるのはよろしくないと近頃思えるようになりました。

ツイない、ツイないと思い続け、ふて腐れた不快さは強烈な刺激。 記憶ー脳と言い換えてもいいかもしれませんーに刻まれることは間違いないでしょう。ということは、再び自分にとって不都合な出来事が起きると!?

不愉快な感情が湧き上がる→ツイないと思う→ふて腐れる(๑ᵒ̴̶̷᷅ ہᵒ̴̶̷᷄ )₌₃→強烈な刺激→脳に到達→記憶安定化=クセ:条件反射的に思考、感情、行動のいずれもが反応

そんなフローが出来上がるのかなと。つまり「わたしはツキのない人間だ」「運の悪いことばかり立て続けに起こる」と自己メッセージを送り続けて、挙句。本当にツイていない、連続運の悪い人間になってしまうということです。(こんなワードばかり書いているとヤバイ??)

ツキの良くなる自己メッセージを送り続けてみたら?

足成

でだ!つづき。昔のちゃろならズルズルと引きづり、ちくそ〜ちくそ〜と怒りといじけのエネルギー玉化していたはず。格好悪い話ですが間違いなくね(*´σー`)エヘヘ。

昨日は①怒りは怒りで認め②その時点で取れると自己責任のもとで判断した最善・最適と思われる方法で落ち着きを取り戻し③「運が悪い」「ツキがない」自己メッセージを発信しないようにしました(つーか、できたんだよね〜〜)。

すると残業も早く終わった。働く分の給与も出してくれた。乗り換え間違えのお陰で( ゚∀゚)人(゚∀゚ )ナカ-マ!と会えた。しかも歓迎して迎えてくれたしね(アリガトウ✾“ヽ(。◕‿◕。)ノ”)。

さらに!あれだけ混乱していた電車が何事もなかったかのように滞ることなく、地元まで帰れたのではありませんか。落としたと思っていたのにねww新調したバッグに入っていたのかも・・・知らんけど #二回目

ちゃろ思ふ故

足成

いつ何時でもポジティブで( 0w0)ノ ウェーイましてや怒りや不満を抑え切りなさい!なんて申しません。心身に無理がかかって入院もしくは通院生活になるか。仙人になって隠居生活になりますので。

いずれにせよ、ちゃろのブログが読めなくなりますよ。

クセ(条件反射的不快不運人)にならないような方法を見つけて欲しい。もしΣ(´Д`)ハッ!!ふて腐れとる!とお気づきにになりましたら、それは回復できる。なんや!?ポケットにツキ入っとったわ!!と「気がつかれた」のと同意ということです。

少し前に発刊された三宅裕之さんの著書↓には、

このように書いてあります。

たびたび書いていますが、脳はよく勘違いを起こします。その人が「今日ついていない」と思うと、脳は「今日はついていない日だ。今日はついていない、ついていないぞ」と"今日はついていないモード”へと向かうのです。

その人が何か悪いことを想像すれば、脳はまるで現実に体験しているかのような状態に入ってしまうということ。

それがわかっていれば自分を自分で悪いモードに導いて、1日をゆうつな気分で過ごす必要はありません。

(夢を“勝手に”かなえる自己洗脳 現在を変えれば過去が輝き未来が拓ける! P.87より引用)

わたしもあなたもツイている!なぜなら、それはそれはすてきなミューズ(女神さま)達に愛されているから(❛ᴗ❛人)✧

無理はいけません!でも難題に挑むことでこそ、恐怖心や緊張を超えることもある。

mikarika_logo

本日(昨日ですねもう)はスピーチトレーニングへ。しかし、いつもと違いましてクラブ創設5周年記念も兼ねた会。わたし個人としての違いは、この記念すべき日に、恐れ多くもMCをすることでした。引き受ける際に我ながらおおー!という発想がございましたので、お話させていただきます。お付き合いのほどを。

やはり実践に勝る修行なし

このMCというのは本来、一通り、タイムを計ったり、審査投票数を集計したりのサポート係を終えて、スピーチも幾度かこなし、さらに会全体の運びが理解できるようになってから、つまり入会して長い期間経てするものなのです。

ご指名を受けた時に(まだ数ヶ月しか経っていないのにやってええんかなぁ・・・)と思いつつ!?わたしにしては大胆な発想が湧いてきたのです。

記念日でゲストの方が大勢来るなら知らない人ばかり。設立者やエリア外のお偉いさんもいる・・・ん?これはアウェイだよね。将来、大勢の人の前で話をするという夢があるなら、これは自分にとって絶好な機会ではないか?人前でお話するのは、知っている人の前とは限らないのだから。

そうだ!少しでもやってみたい気持ち、将来につながると思えるのなら、うまく出来るだろうか?という不安よりやってしまった方がいい。初めから失敗してもいいや!とはまた違う。ミスしたとしてもめげない自分になれそうだ!! と・・・・

成長のために反省、PDCAサイクルで言うCは必要ではありますが、なくても得るものはあり、それも成長の内だとわたしは思いました。

もしあなたがたとえ不安や恐れに勝てなかったとしても、悪いとは思わないで欲しい。なぜなら、それは「うまくやらねばならない」「失敗してはいけない」という責任感のようなものが強すぎる。もしくは、心もスキルもまだ準備段階なだけかもしれないからです。

挑戦

ちゃろ思ふ故

やりたい気持ちが整えば、挑戦、行動にするようになります。反対に、挑戦・行動してしまうことで、気持ちを整えてしまう(うまく出来なかったことへの余計な自責ではなく、勇気と行動力に評価のスポットを当てられる)手もあります。効果の程は個人差がございます。お好みのやり方をどうぞ(お試しも可ですよ)

絶食することで見えたこと。食に関する私的アレコレ

一昨日、自宅はわたし一人で過ごすことに。好きな食事が出来るとワクワクしていました。あれもいいなぁとこれもいいなぁと考えを巡らせている内に結局、深夜まで何も口にせず仕舞い。楽し過ぎて、決められなかったというのと、フェルティングに夢中になっていたからでしょう。でも水分摂るのを忘れていたのはアカンことですね。でも、おかげで食に関することに気づきやわたしの思い、考えがはっきりしました。それについてのお話です。では、お付き合いのほどを。

食事時間を「食べ物を詰め込む」時間としている。

食べる

食事というものは、食べなければならない、義務のように感じることもありました。わたしは母と住んでおりまして、ご飯を共にせねばならない手前、どうしても用意される定時刻に食べなければならないのです。空腹感が起きずとも、口にする弊害が起きている訳ですね。さらに外での仕事がなくなった今、活動量(歩いたり、力を使ったりなど)が大幅に減ったのも手伝い、結果どうしても過剰摂取になってしまいます。量を減らして欲しいと訴えはするのですが、まったく耳しないので始末が悪い(これには理由があるのですが、今回は省きますね)。かと言って残すと食材が勿体なくも思うので食べたくもない量を口にする・・・旧ブログのはじめてお腹が出てなぜ太るのか?その原因について考えてみたにおいて「活動量なく食べるから太るのだ」とエントリーしましたが、まさにその通りの結果、お腹は出るし、何より「美味しく頂く」のではなく「決まった時間に詰め込む」のが食事とになっているなと気がつきました。まあ食費は浮きますし、料理をするのが負担ではないようですから準備してくれる分の時間を英語学習に充てられたり、こうしてブログを書いていられるというベネフィットは頂いているので、随分な物言いとは自負しておりますがァハハ・・(^д^;)。

食の多さと娯楽化が過度に進んだ結果、贅沢が当たり前となった日本人

フェルト

日本は世界各国の料理を頂けるという点においても、さらにコンビニさんや駅の売店、スーパーにファミレス、ファーストフード等、どこかしらで食べ物をすぐに手に出来る利便性に優れている点も、どれだけ恵まれているのだろうと思います。選ぶことはおろか、口にする食べ物の種類、量すらままにならない所、人々は、まだまだ沢山なのに。栄養補給、会食などの楽しみならまだしも、空腹でもなく、ただなんとーくもしゃもしゃ食べる、3度3度決まっている事だからと口にするというのは、たいへん酷い話です。おまけに言うならスマートフォンをいじりながら、タバコを吸う人間の側で食べるなど、味覚なんか真面ではないでしょう。食材たる命に対しても失礼極まりない。TVでのフードバトル、グルメ情報の際にやたらと食べるタレントさん、フリーフードスタイルのお店、食事に行くと焼肉やお寿司を食べられるのが当たり前のような子どもさん…お仕事、家族サービスとは理解していおりますが、食の娯楽化、レジャー化の進行し過ぎで、弊害でないかと思います。にもかかわらず、そのような姿勢の国にいて「太って嫌だ!」「ダイエットしないと!」「断食道場に行こう!」なんて話はある意味、たいへん贅沢であるような気が致します(成人病や痛風というリスクもありますから幸せではなく、敢えて贅沢と表現しました)一体、食べたいのか、痩せたいのか何を求めているのやら・・・。SNS上で「これはああだから、こうで、うちは食べてしまう。だから、太って、イライラしたり・・・」と長くツラツラ並べている方も見かけます。ならば、断食するなり、トレーニングするなりとエイヤ!と行動するか、初めから諦めればればいいのにとも思ったりして。自ら「詰め込んで」起きながら、わざわざ時間を取ってダイエット目的で動くのも、一人でじっくり味わうことなく食事をするもの、本当は嫌なわたしからすると「なにやってんの!」と。白い木馬型空母の艦長さんの如く言いたくなるのです。

見えたこと。食べないなりの活動はできる。

India_13

ロゴ

さて実際、正午から深夜0時過ぎまで水を一杯飲んだだけの「オート絶食」で過ごしたところ、激しい空腹感も食べ物の「詰め込み」もないので、お腹がぺたんとなっておりました(胃下垂のわたしはお腹に食べ物が残っているだけで妊娠数ヶ月のようになってしまうのですがww)。またガテン系の仕事を手伝いに火曜日12時間していたのもあって、筋肉が際立っておりましたね。室内作業のフェルティングしてても、頭がクリアというには大袈裟ですが、細かい作業も捗り、集中出来る時間が長かったようです。( – -).。oO(こう羊毛の流れを沿わせればいいな)なんて、ひらめきが起こり、実際出来たりしてw

ちゃろ思ふ故

コピー

ダイエット法として勧めるものではありません。今回は1日3食がいいのか否かなんてお話もするつもりもありません。食べないでいたことにより、わたし自身が思いついたことをツラツラ書いてみまただけです。お読み頂いた、あなたがまたどのように考えるかはお任せいたします。一番は何でもいいのです。結果論として、あなたにとっての思考や悩みに整理がつく1tsp(ワンティースプーン)が投じられたのなら言うことありません。最後に脈略もなく恐縮ですが申したいことがありますので、それをまとめと代えさせて頂きます。

オーガニックだ、無添加だ、という食材そのものに関することは大切ですし、わたしも興味があります。それらを「食育」と表現するならば、家庭の食の安全を守ることだけでなく、さらに世界的視点からみて日本の過食、飽食、贅沢(を当たり前と思わせる)について言及して欲しい。食材に対する「感謝」の念を考えてみて欲しいなと思いました。ハイ