カテゴリー別アーカイブ: 気づき

自分の意と異なる者のあるがままを許さない者は多くいると思うの

読まれないブログ=自分の記録というスタンスが功を奏し、
7月中はお陰様で更新し続けることが出来ました。
お読みなるのはご自由にとばかりに公表はしておりますが、
内容については一切合切ちゃろ個人のもの

ですから、仮に何か言われたとしても知ったことではありません。
これが本屋さんに並び、販売された書籍で購入した。
お金の授受が発生しているのであるなら話は違って来ますが
読んだ方の感想、判断、ご意見は読んだ方のもので、
わたしが背負うべきものではないと考えているからです。

人様を傷つけていいとは申しませんが、もし傷ついたとしても
「さようですか」のみです。悪しからず ₍₍ ◝(•̀ㅂ•́)◟ ⁾⁾



それにしても・・・
ブログだけでなくSNSなど著名でもない一個人のポストやコメント
=考え・思い(文面)に目くじらを立てて高圧的な意見をするのは
果たしていかがなものかと。

それが酷い差別発言だったり、激しい誹謗中傷だったり、
反対にご尤もな正論を強行しては、いくらお考え(イデオロギー)
であるにせよ「意見」というにはあまりにも攻撃的過ぎる
ではありませんか。

自分の自由意思はパスしておきながら、相手(わたしやあなた)の
思いの丈はロックアウト。ならまだしも
粉砕する。誠に「人はそれぞれに正義があって」でありますが。

ガンダム

続きの 「僕の嫌いな彼も彼なりの理由があると思うんだ」
ドラゲナイドラゲナイは、何処へ行ってしまったのでしょうか?

さらに言うとグループ、コミュニティーになると○と思うものは、
そこに居るなら○でないとならない。○でないなら、その人は

×の人!△でも⚫︎排でも除対象!!

「彼なりの理由」も何もあったものではない。

協調性、空気を読む、察する、一緒、
ノリ、仲良し、友達、同志と呼ばれる数々はわずかにズレると
たいへん危険であるなと常々わたしは思っております。
周囲や他人から影響は大小、自覚の有無関係なく受けてしまいますしね。

ネットの中とは言えパブリックな面があることを忘れてはいませんよ。
わたしはあなたが、酷い差別発言したり、激しい誹謗中傷したり、
ご尤もな正論を強行していてはお話になりません。
理由があっても、許されることなし。こうして文章にしたところで、
スタイリッシュではありませんしな 。

マジョリティーであること、同じであること
個を認める、自由意志を持つ条件にしておいて
Beingだの、存在価値だの、個性だの、
自由、幸福、豊かさ、未来、社会を人に語る

愚かさにいい加減気づけ〜〜〜!

トライガン

「言われないかい?慈愛の心が足りないってよ!」
by バッシュ=ザ=スタンピード

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ブログは自己顕示よりもっと楽しいものだったと思うの

「読まれないブログ」と称しているのは、その日にわたしが
思いついたこととか発見、出来事、体験について
書き残す方向にしたから。



わたしに「役に立つ情報」とか「誰かの助けになるアイデアや知識」を
酷い物言いですが「ひけらかす」ほどは持っているでもなし。
また、そういうことを考えるとなんか

楽しさ半減。

PCやiPhoneの向こうの人の為に!でなく
気負いして、自分が書いている自分のブログなのに、
人様のブログをわたしが書いているような気分がするからでしょう。

MM21

ネタが切れた、書くことないよとお悩みの方がいらっしゃったり、逆に
ネタ切れなんてない!とご託宣を宣う方も多く見受けられます。結局は
人の目に触れる事を無意識的か意識的かはわかりませんが、
いずれにせよ過剰に考えているのではないかと。

人の目=読まれることを期待すると息が苦しくなります。
脳に酸素が行き渡らなくなります。だからネタ、書き出したいことが
「思い出せない」という状況に陥るのではないかなぁ。

ネタはつきない!とおっしゃる方は書くことを純粋に楽しまれているか、
ご自身なりのスタイルとテーマとリズムが確立している。
リラックスしているので、ネタを思い出すことが容易なのでしょうね。

たまゆら

あまりネタがない人、続かない人たちを追い込まないように一つ願います。
敢えて皮肉を込めて言うと、
あなたほど他人に自分(の考え、知識、見解など)を見てもらいたくて、書きたくて
仕方ない人ばかりではありません。役に立つという名の自我の増大、
自己顕示の気持ち良さを味わう、だけが楽しいことではないはずですよね。

書けない方もライターさんとか記者さんではありません。
読まれないとならないとか、読まれたいという欲心から
離れてみるのもいいではありませんか。

ブログはもっと気楽で楽しいものだったように覚えていたのですがね・・・。

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4行日記で書くと

【事実】記録としてブログを使うことで自分自身の行動や思想の指針、潜在的な思いというものを露わにし、整理出来始めている。それと、よく続いている。

【気づき】人の目にさらされるブログの特質は、良くも悪くも働く。画面向こうを気にし過ぎても息はつまり、自分を無き(亡き)者にしてしまう。かと言って、読んでいただける喜びは理解できるが「我」が強くなり、承認欲求を追求するに至らんとしてまた、自分を見失う。

【教訓】ブログは一体誰のもの?誰のため?何のため?情報を伝えるツールとするにせよ、日記として利用するにせよ、そこには紛れもなく自分=わたしが存在していることの確かさを忘れないようにしたい。

【宣言】 弊ブログ「チャロッピ!!」そのもの(ツール)は、立ち上げに携わった方、長年お付き合い下さっている読者、仲間、知人たちもいて、今現在存在しているとの認識を持ちつつ、述べている(著作)内容はわたしのもの=思いつきであるという認識を持っている。
←著作権の兼ね合いでそう言っておく。

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【お知らせ御免】
本年も滝行イベントを開催致します*:゚*。⋆ฺ(*´◡`)ノ
ご興味ある方は下記URLまで詳細ご確認の上、
お申込み下さい!

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歳のせいにするのは肯定的副産物があるからだと思うの【考え】

あ!Σ(´Д`)ハッ!!
と今日突然思い出しました。プログ更新してなかったことを。
昨日は突如、グリーフケアのWebセミナーに参加することに
したので止む無くもあるのですが、なぜに18日は?
更新したつもりになっていたのかどうかも思い出せません。
トホホ・・・



こういう素っ頓狂なことをしてしまうのが1、2年のうちに
増えてきたような気がいたします。世に言う「加齢」によるものなのかは
判断つきかねます。抗うつもりは全くないものの「老い」のせいにしたくはないのです。なぜなら、

なんでもかんでも「老い」のせいにし始めて、エライことになる
と、仮定推測を立てていますから。

私のコーチのお一人。NLPコーチである純ちゃんセンセとの間で
勝手に作り上げたコトバに「肯定的副産物」というのがあります。
かなり酷いものいいになりますが、自分がダメになる、不幸のままであるのが
薄々わかっていながら選んでしまう。
都合のいいこと、状況、所謂「オイシイ」ことを指すコトバです。

ねこ

つまり「老い」というワードを利用することで、ミスの原因や実態を解明しない。
対策を立てないで済みます!省み不要!思考停止可能!一言でいうと楽です!

そうです。 成長や学び、気づきを犠牲にしても(犠牲にしているとは
思ってもいないでしょうが・・・)自他共にたいへん都合の良い
言い訳が立てやすく且つ、すべてが許される免罪符
(これまた、そうなっていると思い込んでいるだけなんですけどねw)
肯定的副産物が得られるから

多くの人は「加齢」や「老い」を好まないにもかかわらず、
厚顔無恥で「もう歳だから」「おばさん(おっさん)やから」
と、ついつい使ってしまうのはそういう事なのです。

さらに、今までの自分なら考えられない、あり得ない失敗、過ちを起こして
しまった「恥ずかしさ」からの逃避でもあると申せましょう。

認めたくないのは実は、年齢という数値ではなく、
老いという現象でもない
のです。

肯定的副産物は一度口にしたら、あの銘菓の如し!
やめらないとまらない。それは「老い」に拍車もかかるでしょうて。

何と言っても「歳」というワードがついている分

( – -).。oO( 自覚しているもんね〜 )

となる始末の悪さ。いやはや(⌒-⌒; )

たまゆら

癖になるのは情としては理解できます故、願わくば
「もう歳だから」はお酒と下心とキャッシング同様、
無理のない範囲内で控えめが宜しかろうと。

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神社ミッションは托鉢とは全然違うと思うの・前編【考え】

きれいになった自室も次第に汚部屋化に戻りそう。
シフトの都合で3連休となり、少し片付けを。

蔵書を見ていましたら、よく言われる積ん読本よりも
その節は十分お役に立った書籍と数回呼んだものの
しっくり来なかった書籍が意外と多かったことに気がつきました。

双方ともお役ご免の処分する前に「学びのまとめ」の資料にすべく、
ポストイットを貼付した箇所を抜き書きしておこうと
(スキャナーあると便利だろうねw)
読み返しつつ進めていたら!?

( ー`дー´)え??これ妙だな!

という部分に出くわして・・・
理由はありませんが直観でそう読めたww

ですから気になりまして、不肖・ちゃろの見解として整理してみました。

ヾ(´Д`;●) ォィォィ まず部屋を整理しろってばよ



心屋さんではなく逸話がおかしい

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「一生お金に困らない生き方」という心理カウンセラー
心屋仁之助さんが書かれたご本です。ベストセラーになったので
ご存知の方も多いと思います。

本書に「神社ミッション」という心屋氏が発案?
したワークがあるのですが、その発案に至る前に
先輩カウンセラーの澤谷さんから釈迦尊の話を聞いた
ご体験について書かれています。

本文をお借りしましょう○┓ペコ

 

お釈迦さまはお弟子さんたちに托鉢は裕福な家ではなく、
貧しい家を回るように言われたそうです。なぜかと言うと
貧しい人たちは自分たちのことを貧しいと思っているので、
他人に施しをしてきませんでした。(できなかった)

逆に、そのせいで貧しさから抜け出せないでいるからです。
托鉢で、貧しい人たちからお布施をいただくことは、
貧しさから彼らを救ってあげることでもあるのだと、
お釈迦さまは言うのです

貧しい人がなぜ貧しいままなのかというと、
自分のことを貧しく、不幸だと思っているので、
なかなか自分以外のためにお金を使えないからです。
実は、だからこそ貧しいのですから、その人たちに
お布施を出す(=人のお金を出す)という行為の大切さを教えて
それによって貧しさから救ってあげるのが、
托鉢の本当の意味だったのです。

つまり「先に出す」という行為によって、豊かさが回ってくる
ということを意味しているのかもしれません。
この話は僕にとって衝撃でした。

一生お金に困らない生き方 p.p176,177より)

心屋氏はこの時に気づきがあり、
オープンカウンセリングの無料やめたり、
神社ミッションなるものに行き着いたようです。

心屋氏が学んだこと。神社ミッションを思いついたこと。
本書に書かれいてる、ミッションを実践した方々の効果等々の話を
ウソだ!とは申しません。もちろん、お話した澤谷氏もですよ。

ちゃろとしては、この釈迦尊の逸話がどうも引っかかるのです。

心屋仁之助の仕事・人間関係 「最近なにもかもうまくいかない」と思ったら読む本 (中経の文庫)

食べ物貰う行為に「救い」の意味はない

寿司

そもそも托鉢は生産活動と経済活動から離れた僧侶たちが
食べ物をいただく=wantではなくneedの施しを受ける
「行為」であります。

修行の一つとも言えなくもないのですが、どうも
東南アジア圏の修行僧の方や釈迦尊の別話を追うと、
第一義的には命をつなぐための必要最低限の食べ物を
貰ってくる「こと」のようです。

単に食べ物をいただくという行為。
譲って修行だと致しましても「救い」が本当の意味
はありません。

=後編につづく=

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ガリガリと無理は一時的効果はあるけれど、習慣化には向かないと思うの【気づき】

ブログを再開するようになってから、少し他の人のブログを
拝読する時間が増えました。勉強になるというより
ストレングスファインダー®のTOP5の中に「収集心」という資質があるため、
むしろ内容に関すること。

情報集めと雑学吸収になっていたりして。ブログの書き方とか、構築法に
今ひとつ興味がないのかなぁ・・・DoingやHow toも大事だから、
ちと困るw

苦になっていないからコレ幸い。そのうち活かす日もくるでしょう。



おそらく

「ガリガリと今までのようにやらなくてええんちゃうの〜 ₍₍ ◝(•̀ㅂ•́)◟ ⁾⁾」

と教えて貰った機会なのかもしれません。

ご都合主義的解釈ですが(●´ω`●)ゞ エヘヘ♪

でも気がつけば!?

何かを知る・学ぶ→やってみる→功を急いてしまう
→焦り→ガリガリ→無理がかかる→長くは続けられない
→辛くなる→Σ(∩˃͈ ╻ ˂͈ ∩)‼︎

のフローを辿っているなと・・・・

「急いては事を仕損じる」って本当だなぁと思いました。

ちゃろ

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4行日記として書くと

【事実】 ブログ再始動。他の人のブログを読む頻度が増えた

【気づき】早くよくなろう、良い結果を出そうという焦りの気持ちが
頑張ろうとガリガリ(無理を)やってしまう。
(別途;大事だからと興味があるは一致しない)

【教訓】 無理は一時的な推進力となるが、即効性はない。
使い時と持続時間を覚えておいて普段は、
Baby Step(ちびちび・コツコツetc)で成果はお迎えする٩(๑❛ᴗ❛๑)۶
くらいの心持ちで取り組むと○。

【宣言】 わたしは確かな成果を手にいれるための取り組みの維持・継続には
「穏かな心」が最適であることを知っている人です。

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