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好きなところカードを渡してみようー本命クッキーをお受けしましたー

人類にとっては小さな出来事かもしれないが
ちゃろにとって大きな出来事である。

ヴァレンタインデーなる商戦に乗っかるどころか、関わる事のなしに半世紀近く。2017年の今年、年男である不肖・ちゃろ。

ついに本命なる贈り物をお受けしたしました!!
(拍手でございます。大拍手でございます)

プロ独身およびブサ男の長きに渡る歴史において、これは快挙極まりない。いや〜人生ドラマだわ。

手焼きか!?コレ

交際相手から「クッキーを焼いたので持って行く」とのLINEがございましたので、配達などとは滅相もないと
わたしからお受け取りに馳せ参じました。

モテないを拗らせると変にビビってしまうものです、ハイ。

自宅で開けますと、おー!神々しい
思わず手を合わせてしまいました←大袈裟ですが

いろんな形とサイズ。味も2種類入っておりました。
口にしますとしんなりしていたり、硬めだったりと
これまたいろいろありますが、中々どうして。

贔屓目にしても結構、いけました。

わたしの好きな「仮面ライダーカブト」

それに出てきた台詞

おばあちゃんが言っていた。
どんな調味料にも食材にも勝る物がある。
それは料理を作る人の愛情だ。ってな

というのは、正にこれではありませんか。

好きなところカードで嬉しい楽しい感涙

クッキーともう一つ。ラブレターならぬ
「好きなところカード」が入っておりました。

先日、好きなところ100というプレゼントブックが店頭にありまして、交際相手がコレに大反応しておりましてね。

そこで今回、彼女なりにカードにしてわたしに渡してくたのです。100は時間と体調の都合上書けなかったようですが、
それでも思い出しながら1枚1枚カットを挟み込み、作ってくれたのです。
自負・自覚することもあれば↓

カノジョ・アイにしても2倍10倍増しに評価じゃね?wと照れてしまうカードがあったり。

また、よーく見ているな〜↑↓という部分に感心したりw

嬉しいではありませんか。

とくに「欠点だなぁと」「多くの女性はドン引き」と思っていたのがカノジョにとっては魅力的に映ってたりする。これは驚きでしたね。
勝手な自己評価であることの気づきと共にもの凄い受け入れられた感を得ました。

1枚めくるごとに心がほんわかしたり、思わず笑ってしまったり、
中にはポロポロと感激+安堵の涙がこぼれたり・・
ヴァレンタインデーに、たいへんありがたく素晴らしい、愛情が具現化した贈り物を手にしまして、幸せを感じました。

ちゃろ思ふ故

クッキーは勿体なくて、ゆっくりと頂くつもりが!?
一気に食べてしまいました。今まで自分とは無縁のこと、ものであったのですが、これ程までにマインドが高まるとは。

思いを込めた品々を渡してくれる人がいる。すると低い自己評価や自己蔑視をするなんて、とてもではありませんが出来なくなります。カノジョ(カレシ)に悪い、悲しむという後ろ向きの発想ではありません。

大切な人に受容されて、愛したい人をより大切にするには、否定、嫌悪している場合ではない。それは不必要。やるべき事ではないと自然に気づくのです。パートナーを大切にする即ち、自分を大切にするのと言ってもいいでしょう。

お付き合いしている同士はもちろん結婚されている方も
100でなくても「好きなところ」を紙やカードで
ぜひ出し合ってみて下さい。

強みや自分のイメージを知るのに負けず劣らず、好ましい影響を及ぼしますよ。

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深夜0時の闇の中、久しぶりにちゃろは泣いたんだ【エッセイ】

どーん!と胸を突かれるとはこういうことなのだろう。
嗚咽する程、泣いてしまった。熱い涙が線になって流れるほどに。

このところ毎日、交際相手とLINEで話をしている。

昨晩の話。

深夜0時に近づき

「そろそろ寝ないと」

と、わたしのことを気遣ってくれるメッセージ。

もっと話をしたいだろうに・・・。

いかんせん、わたしが睡眠不足により体調、パフォーマンスが
祟りやすいのを知っているのだ。

「だなだな」

わたしも、いつも通りの返し。

すると、

「愛されているから」

「近くにいるからではなくて」

「ちゃろから愛されているから安心」

・・・。

月並みな言葉で言えば衝撃。
もっと相応しい表現があるはずなのだが、その時に出てこなかった。

とにかく、体の上からでも下からでもなく。
正面からでも後ろからでもない。なのにどーんと、
貫かれたような感覚が体内を走ったのは紛れもない。

同時に心地の良い感覚がパアッと広がる。
するとに間も無く、目から涙が浮かんで来た。

その旨をあの子にLINEで告げ、おやすみなさいとの挨拶で閉じた。

なんだろう、この感覚。嬉しいだけでは表現しきれない。
まるで憑き物が落ち、傷が癒え、マインドは優しいぬくもりに
包まれながらも、気力はみなぎる。懐かしささえ感じる。

そして、体にもエネルギーが充実。それら全てを含めた感覚だ。

遅れて脳が状態を自覚する。すると!

目から次々どころか、まるで塞き止めていた川が
決壊するかの如く、止めどなく涙が流れ出していた。
もう声を出ずして泣かずにはいられなかった。

振り返れば今までのこのわたしときたら、
相手のために良かれと思ってやったことは裏目裏目に出た。

会いたいというので、電車で数時間ゆられて会いに行けば
しばらくすると「甘えてダメになる」とか言われる。

ワイドショー程度の内容の話をしている最中、突然!激怒されたこともあった。
恨まれたり、嫌われもした。

違うんだ、違うんだと思っても、相手の感情は収まらず。
たとえ伝えたとしても

「そんな訳ない」「そんなこと(言葉)が出る訳ない」
「いいなんて思う方がおかしい」
「そのくらいわかるでしょ!普通。機微がない」と。

わたしの考えや想いは伝わらない。

何が悪いのか、いけなかったのか?さっぱりわからない。
ただ、傷つけてしまったのだなと、とても悲しくなった。

後悔もし、自責でいっぱい。

きっと人の心や気持ちがわからないんだ。
そうか、愛することができないんだ、わたしは・・。

そんな風に思って生きるようになっていた。

最終的には別れ際に嘘をつかれ、あまりのショックに
一過性難聴と失語、そして鬱に。

わからない、わからない・・・どうすればいいの?
愛ってなんなの?優しさって?

それからというもの、恋するような感覚が起きると、
フラッシュバックが起き、恐怖と息の詰まりで心身が震えるようになったのだ。

「愛されているから」

そんな言葉が、よもや生きているうちに聴けるとは。
それも今、一番大好きなになった(なれた)人からだ。

あの子に好かれよう、目の前ではカッコよくいよう、男らしくしよう
と、全く思っていなかった。今までのまんま、ちゃろのままを通していた。
そのままのわたし。

その効果か。年またぎに交際の申し出をする時に
フラッシュバックも恐怖による震えも起きなかった。

わたしは甲斐性がないし、男前でも、懐が広くも、優しい訳ではない。
もちろん「愛」なんて知らない・・・なんて、見下してもない
距離や時間、会う回数でなく、ただただ傍にいるかのように
わたしの想いと気持ちはあの子に向けていよう!

あの子が心から喜び、自分を好きになるような
ハート型のメッセージを投げ続けさせて貰おうと思っていただけだった。

なのにキャッチして、投げ返してくれた。
近くにいるからといった「条件」でなく、
「ちゃろから」、わたしだからというではないか。
ただ在るだけのわたしで「愛されている」と。
「安心」というワードまでついて。

(愛してくれたのは、あの子の方なんだ)
なのに・・・。

うおんうおん泣いた。泣かずにはいられない。

「認められた」「伝わった」「受け入れられた」そして
「愛せた」「愛することが出来たんだ、わたし」
そんな数々の言葉とやっと報われた、解放感なる安心に包まれながら

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愚かしい本音に罪なし 見える化して大切なことに気がついた【逆算手帳】

早くも年明けて10日になろうとしています。うかうかしていられません。
昨年購入して手付かずだった逆算手帳を静々を埋めております。

2017年は手帳でワクワクする未来を手に入れように参加しました【セミナー】

やりたい事を100挙げたウィッシュリストを作成したよ【逆算手帳】

いい感じに進んでいたのですが、10年逆算シートという
ページに来ましたら、書いては消して書いては消して。
どうもしっくり来ない。

5年先どころか、3年先すらここ暫く見通しが立てないほど
浮き沈みの激しい時を過ごしておりましたので無理もなし。
また思っているより自分の中に具体性を持っていないのもあったのも
原因のようです。

ストレングスファインダーのコーチである西素直さんから

「ヴィジョンは記憶できない」

と再三言われていたのも益々納得です、ハイ。

図々しいが本音に蓋をする

ここで引っかかっていても埒があかないので、おおまかに書いいて
本年分の逆算シートへと移ることに致しました。その時に

(これって本当に本音なのか)

と、疑問にも似た思いが浮かびました。

すぐに坐禅を組んで、暫しインターバル。
どうもしっくり来ないのは「こうするといいなぁ」「ああなるといいなぁ」
がどうやら、頭で思い浮かんだ願いー例えばテレビや雑誌などで知らぬ内に
影響を受けた結果の理想・偶像などーだったのです。

さらに手帳を埋めさえすれば、うまくこと運ぶだろうと思い進めて
しまったことも。肚(丹田とか女性なら子宮)と対峙していなかったのが
いけませんでした。

肚の願いたる本音では「お勤めしたくない」でも「お金は欲しい」という
矛盾というより、図々しいにもほどがある思いがあったりと
自分でマジマジとそんな思念を見たくなかった。
そんな都合いいことあるかという点に引っかかっていました。

裁きなしで本音と真っ向お見合い

そこで、どんな愚かで恥ずかしい思いでもいいから、
○×をつける裁きをせず、残りページのあるノートに書き出してみようと、
逆算手帳は一度止めてみたところ

「仕事は辛いものである」という旧観念とわたし、ちゃろさん的仕事観である
「わたしの満足、納得なしは仕事でなし」がぶつかっていたことに
気がついたのです。

そして、お金という物体のために何を四苦八苦しているのやら。
お金がないという落胆。使えないという不満。なくなったらどうしよう
という不安。それらのストレス、怒り、辛苦にまみれて、
求めるもの、こと、人について真正面向かず、気も思考も回らなく
なっているではないかともわかったのです。

さらに書き出し、追求してみればなんのことはありませんでした。
図々しいでも、恥ずかしいことでもなかった。わたしはただ快適で
いたかっただけだったのです。

そして、苦痛に顔を歪め、泣いている人たちに何らかの形でアプローチしたい。
なのに、そのわたし自身が苦痛に顔歪めている場合かともわかり、否、
苦痛でいる必要がないではないかとの考えに至ったのです。

すると「ぶぅわあ」っとが湧いて来たではありませんか。書籍や逆算手帳で言う
ワクワクですね。自己満足でいいじゃない。快適を追求し、とことんやって、
し尽くせばいい。それが自他にとって「希望」という名のものになるかも。

豊かさや自己信頼、好きな人への慈しみを持てる、大袈裟にせよ
「愛」だなぁとの想いにもつながりました。

ちゃろ思ふ故

本年の逆算シートページがサクサクと埋まっていきましたので、
10年シートの方も近々埋まることでしょう。

快適と怠惰・堕落との相違が判別つくかが正直心配ではありますが
「なごみ」というキーワードが浮かびましたので「ぶぅわあ」と「自己満足」とを
セットで愛の人・ちゃろの在り方を進めていこうと決めました。

本音の見える化にけしからんはなし。むしろ、出してしまった方がいいのかなと
此度、学びました。それに逆算手帳は埋めるのが目的ではないしw

=今年は誕生日向けにと公開しました=

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どうぞよろしくお願い奉ります!

夢を叶える超実践セミナーを受講して来たぞ

2016年も終わりに近づき、これだけは参加したいと駆られまして
行ってきました。「2017年に本気で人生を飛躍させたい人の
ための 決める 信じる 行動する 夢を叶える超実践セミナー」。
講師はちゃろのブログではすっかりお馴染み、
立花岳志さんと大塚彩子さんのお二人です。

アレ、今までと違うぞ

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はっきり覚えていないのですが前に参加したのは、いつだったか?
久しぶり感でいっぱい。今までなら会場に入れば顔馴染みが多かった
のですが、すっかり見知らぬ人ばかりで知人、友人を探す方が
困難なくらいでした。

それだけではなく、講義をする立花さんと彩子さんの話の内容、
進め方がまるで違うのです。

それまでスライドが映し出されて、決められた流れに沿ったお話を聞く
典型的な座学、講習スタイルだったのが、ライブのフリートークのよう
に進められていくではありませんか。

いい悪いでなく正直申して、面食らいました。会場の雰囲気から話す内容が
決まって行き、初参加もリピーターもちゃろのような古参も分け隔てなく
「一律」との配慮とさえ感じました。

手法より先にマインドを

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特に大きく変わった点。思考や心持ちの有り様が人生にはマスト。
立花さんの言葉をお借りすれば

「まずやるべきことは、心を整えること」

がメインになっていたこと。

かつてはログを取る、週次、月次で振り返りをする、
タスク管理をする、有効なツールは・・・などなど
How toに近い手法(やり方)のお話をされていたのに。

違いが歴然。わたしとしては「やり方」も知りたいのですが
実際我を省みると、感性、感情、精神で物事に取り組んでしまいがち。
なので「心を整える」からはじめようというのは合点がいきますし
とても良いです。

腹で決めて思考を断つ

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セミナータイトルにあるよう「決めて、信じて、行動する」が
今回のセミナーのメインテーマ。

ところが、決めると言っても踏ん切りつかない。わたしなら
出来る、成ると信じるにせよ、今ひとつ自信がない。
その上で行動するとなれば、もうどこへ進めばいいのやら。

わたしだけでなく、そんな人が多いのではないでしょうか。
講義では「決める」というのは「腹」ですること。
頭で考えてどうのこうのではない。そんな決心もどきの類を断ち、
兎にも角にもなると最初に決めてしまうのだそうです。

これをわたしの言葉と解釈を交えてのお話しますと、決めるというより
もう「決まってしまう」のではないかと。ちなみに、とある本では
「腹の願い」とつけられていました。

例えば、あなたが年収1000万円になると決めたとしましょう。
これも立派な「決める」なのですが、どうして1000万円なのか?
500万円では?3000万円でもよくない?

1000万円にしたのは頭の願望。テレビや雑誌、ネット、友人と
話していて頭にに刷り込まれた、すなわち脳の記憶=頭で思う望みに
すぎないのです。

「どうして?」の部分を突き詰めて行きますと、実はお金がなくて
貧困生活(家庭)の辛い体験からの怒り、不安、妬み、憧れなどがある。
さらに突き詰めると実は実は

「安心感を得る」ような「家庭をつくる」
同じような境遇の子供を減らす「活動をしたい」など

の願い=腹の願いに辿り着くのです。1000万円、お金という
「名詞」ではなく「動詞として表されるのです。お話を伺っていて
心を整えながら、腹で決めるというのは「自分の深い本心を探り当たる」
ので「決まる」と思いました。

ですから、力みも続けるのに踏ん張りもいらない。ナチュラルに
既に出来た、成ったかのように振る舞えるのです。

「それマジでか!?」と問う習慣を

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過去体験からくる感情に人は飲み込まれるもの。起きた感情について
善悪、正負、+ー、○×、など裁く必要はない。ましてや、
悪かった、ダメだった時のことばかりを理由とし、そればかりを見て
将来と今をダメだ、ムリ、不可能と予測し、信じてしまうのはいかがなものか。

人間の脳が発達した故の能力でもあるけれども、ダメの根拠探しを
わざわざ自らがする必要はない。予測は予測。逆に将来良くなる、出来るの根拠を
見つけたって、同じ予測なのです。

「信じる」のは予測でななくて「決めた」自分。あなたやわたし自身を
「信じる」のです。ダメだ、どうせ上手く行かない、出来ない、成れっ
こない思考は「それ本当なの?」と自問する。怖れからの予測であることに
気がつくでしょう。

怖れは「怖れよう」とあなたが意識し、自覚の上で
怖がっているのではありません。どこからともなく勝手に
やってきたのです。

禅道では次のように申しております、頭や心に浮かんでくるものは、
あなたのものではない。私(あなた)のものだと思ってしまうことで、
わざわざ心にピタリとくっつけているの過ぎないと。

だから、自問「それ本当なの?」で距離を置く試みを行うのです。私、
ちゃろはコレを自己信頼魔法「それ、マジでか!?」の詠唱(呪文)と
看做して行うことにしましたよ。

「私、なっちゃいますので」「オレ、どうせ叶っちゃうし」くらい己を信じて
進んでみませんか。

ちゃろ思ふ故

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人が自分の人生を生きようとすると、どうしても自らの感情とつきあうことになります。昨年から学びを減らしますよと宣言して以来、数年前と比べると大幅にあらゆる
セミナーや講習会、勉強会へ行かなくなりました。

良し悪しあれど、それでも人生と自分自身への探求を「放り出せなかった」のは面白いものだなと感心するやら、あきれるやら(笑)自分ではない何者かになろうと気づかぬうちに必死になってしまっていたことに気がついたのは大きな収穫ではありました。

しかーし!!今回のセミナーで

  1. 自分を信じることに慣れていない。
  2. 自分を好きにならない、そして出来ない根拠を探してばかり。
  3. 学びや気づきによってテンションが上がったまま、行動に移さない。
  4. 誰かのいう事の方を正解だと真に受けてしまう。
  5. あまりに傷つきたくない思いと予測に怖れを抱いてしまい
    挙句、心や思考にひっつけてしまう

と解ったのは大きな収穫でした。

勉強仲間であり、憧れる友人5名が登壇しておりました。
わたしもいつか彼ら彼女らと同じように
たくさんの人の前でお話することに「決めました」。

そう!それこそ「わたし、実現しますから」のノリで「信じ」
2017年「行動します」

最後に5人のそれぞれから聞いた言葉を一つにまとめて終わりにします。

辛い、辞めたい・・・不安、ストレスを打ち消そうとするとDoingに走る。
大切なものとつながり続けているから痛む。

仲間と執念。

苦労も含めて人生を楽しもう!
旧価値観(自己定義)の向こう側へ!

とりあえずはじめます。転んだらごめんね。

不本意な生き方は本当に自己選択の末なのか

前回のエントリー

を読み返してみたら、結構、駄文でございました。
それでも意外と好評でして。時間がかかった分これ幸い。
そんこんなでつづきのようなエントリーを書いてみます。

自己受容の足りなさ、自己否定の強さから不本意な生き方を
してしまうという理論が私、ちゃろさん界隈では実しやかに
呟かれております。

加えて昨今のアドラー心理学ブームも手伝ってか、
生き方は「自分で選択している」というお考えの方もいらっ
しゃいます。わたしは詳しく学んでないので、理解もせずに
語ってしまいますが今回は、生き方の「自己選択」について。
お付き合い下さい。



幼少期における生存戦略

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子どもは親の愛を一心に求めます。ここでは「庇護を求める」
と、言い換えましょう。心理学だけでなく、教育学等々でも
よく申されていることですが生命に関わるからです。

生き残る為には危害が及ぶもの、不快、不穏なものを
避けねばならない。しかし、到底大人と同じ知恵や経験は
持っておりませんので対処ができません。
一番近しい親に寄りかかざるを得ないのです。

つまり「庇護」を得られないのは生命の危機とともに最大の恐れ。
親は、まるで神のような存在ということにもなりましょう。

機嫌を損ねたり、意にそぐわないことをして怒られたり、無視されたり、
もっと酷く打たれたりしては一大事。生き残るはずで親の側にいながら、
生命に関わってしまう状況を作ってしまっては本末転倒。

かと申して、出て行く訳にも参りません。ですから顔色を伺うように
したり、自己犠牲の下に喜ぶようなことばかりをしたり、
悲しむのではないかと思案したり、反対に気を引くために、
離れないようにといつも負担を掛けたり・・・。

あの手この手を試してみて。これが妥当という手法つまり、
周辺環境(家庭・親)に合わせ、その子ならではの「生存戦略」を
身につけていく必要性が出る訳です。

ミスタッチを自己選択と呼ぶ酷

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さて、ここで一考致しましょう。子どものときにあなたも
生存戦略を身につけております。果たして、あなたが思いつき、
試し、「選択」したのでしょうか。

先述の説明ですと、そのようにも読めますよね。確かに、どうすれば
いいかなと考えはしたでしょうし。実際、Try and errorしたですから。

しかし、今現在の不本意な人生を歩くに至る程、あなたの積極的かつ
自覚を持って選択したと言えるのでしょうか。

わたしは疑問でなりません。幼少時代に○○の実行すれば危害を
加えられない、嫌な思いをしないと、本当にあなた一人だけで、
最初から思いつき、身につけたにしては、あまりにも
出来過ぎではないでしょうか。

ある不快刺激に対してオートメーションに働く「不適切な適応」プロ
グラムと化している生存戦略
を自己決定で組み込んだなんて・・・
子どもがですよ。(当時は)「必要な適応」プログラムでも、
積極的に自己選択、意思決定したと申すのは無理がある。

不本意な生き方を選んでしまう姿は、計算機を前に気が付かないで
+キーを押しながら「2倍にならない」と嘆いているようなもの。
2倍したい、2倍にしたいのにと言いつつ、目で見て確認しながら
+キーをひたすら押し続けるなんてことあるのでしょうか。

わたしからすると生存戦略の自己選択説は、ミスタッチも自己選択ですよと
同義語扱いしているみたいでならないなのです。

従順にして本人に意思なし

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自己選択というのならば、今となっては不要などころか弊害と言っても
過言でないプ程のプログラムなのですから、すぐにでもあなたはアンイン
ストールするなりアップデートできるのではないのでしょうか。

わたしは自我吸着一体化させる何かがあったと考えております。
大げさに言えばマインドコントロール。無意識に、さも端から自分のもの、
あなた自身が選んだ、あなたなんだと思い込ませるような仕業です。

あなた自身が気がついていないのは無理もない何かとは。
そうです。親からの教え。しつけ、教育、指導、子育て、言葉かけ、
親自身が持つ信念、世の中や人の見方、イデオロギーなどなどを総合したもの。
わたしはこれを「掟」と呼ぶことにしております。

「○○だったら、いい子(悪い子」「○○だったら、してあげる」
「あなたはダメ」「○○はいけない事」「世の中とは○○」

など

いくらあなた自身が思いつきとTry and errorがあったとしても、
子どもの意思だけの自己選択で不本意な生き方までに至りはしない。

生存戦略+掟=プログラム

本人の明瞭な意思はなく、ただ子どもの持つ素晴らしい
「素直さ」によりインプット

自我吸着一体化を成し、特定の刺激に対して自動動作。

して、今現在の認知の歪みや人生の息苦しさを生み出す不本意な生き方

の完成です。これを恩恵(ちゃろの言う肯定的副産物)があるから
自己選択だと(特に他者が)言うにはあまりにも酷ではありませんか。

ちゃろ思ふ故

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あなたが悪いのではありません。周りのせいにしてもやりきれません。
その程度の人や環境だったのですから。インプットされいるどころか今や
ガン細胞よろしく自我と一体の「掟」をどうするか。

他所こそが自己選択です。不肖・ちゃろ、唱えます。

 

掟はあなたではありません。

あなたは掟ではありません。

 

過剰な生存戦略を施さなくても、あなたは生き残れます。
なぜなら、恩着せがましくなく、ギブアンドテイクでもない。

あなたを無条件にそのままで対峙してくれる世界があるのだから。
愛がありますから。