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坐禅は心と脳と精神のデフラグなり

11日土曜日は、今年初めての坐禅セッションに行って参りました。
わたしの場合、とくに習得する目的は何もなしに、個人の感覚的なもので
昨年からなるたけ間を空けずに通うことにしておるのです。

関連記事;神奈川県稲村ヶ崎 月読寺坐禅セッションにてココロのお稽古をしました

行き帰りの時間と運賃まで含めて考えてみても、我ながらよく続いているな
と、感心しております。



自宅にて坐すより住職の法話とご指導が頂ける点はココロの
整体さながら。午前の部とお昼の食禅に参加するだけで十二分に
精神・魂が静かに収まる位置に収まる。そんあ気がするのです。

特定の宗教を信仰はしておりません。教義に縛られるのは好みませんし、
禅道という言い方で広大にて無量なる思想として捉え、接し、
実践することがわたしには相応しいと考えるからです。

訳もなく、神経がざわつく時は大抵、しばし自然に触れていないか、深い禅の境地に
置かれていないのであります。道場は鎌倉にございますので、海山共にある土地柄。
さらに良くもなるのでしょうね。

この日のあとは、坐禅(瞑想)の深度が今までにない程に。
実に気持ちが良くなりました。

また、あれやこれやとたくさんのやらねば並びに時間がない!にて自らを
焦らせていたり、思い浮かぶ思考に対してやたら正誤、善し悪し評価判断をしている
ものだなと気がつかされました。

さらに(説明し難いのですが)オレオレと自分で申し差しているオレとは誰ぞ?
という疑問が湧き上がりまして、問い質せば「オレ」とは、私ことちゃろではない。
いつの間にやら出来上がった思考フィルターから落とされ、どこからとも
誰のものとも判らぬのにやってくる勝手な思い浮かび=観念の声。

お主は「脳みそ」さんではないか

と行き着ました。言い換えると脳(思い浮かび、観念)と自分は同一では
なさそうだなと当たりがついたのです。ここまで来ると危なさをあなたは
感じるでしょうけれど・・・

日頃忙しく過ごしている内に行き場なく彷徨うココロ。
その収まりどころに仕舞うお稽古としてやってはいかがでしょうか。
お勧め致しますよ。

日本には坐禅があるじゃないか!

7月になりまして,
真っ先に変わったことが早速ありました。

会社から保険証が渡されたw
1年と半年ぶりですな(しみじみ)

年金はあきらめられるけれど、国民皆保険制度
は崩壊しないで欲しいです。

ちゃんとしようと思いながら、はて?
何を具体的に実践すれば良いの・・・

アホさ加減も甚だしくありますが
プリンシプルの「心静かに穏やかに」を軸に考えれば
まずは!!

坐禅です。いやマジで!
空いた時間と人目について怪しまれないところがあれば、
マメに座っております。



ちと脱線。そういえばマインドフルネスがちょっとした
話題になっていますね。
自慢で恐縮ですが、今更ながら何を言うてるのやら
と、ちゃろさん冷ややかに見ております。

と言うのは、もう何年も前にわたし、マインドフルネスの
書籍をバーゲンブックにて購入しておりまてね
(英語本訳本でしたが、ただ内容的にはどちらかというと、
集中して取り組む事による効果と大切さ、ワン・シング的な内容でした)。

そのバーゲンブックとやらは絶版本=ほとんど売れなかった。
加えて版元もなくなったのですから、多くの人が
興味を示さなかったという証ァハハ・・(^д^;)

それが今やGoogleだのFacebookだのグローバル企業さんで
活用されていると伝わってきた途端!?この様はなんなん??

マインドフルネスって流行り??時代??
Googleなどがやっているから???

とか言うんじゃなかろうな・・・(☼ Д ☼) クワッッ!!!

マインドフルネスのことを知らなかったにせよ、
何を振り回されているのやら。中には声高にマインドフルネス!
マインドフルネスに取り組んでおります!!と選挙カーばりの人もいたりして。

元々我が国日の本には禅があるのですよ。
ココロのお稽古、伝統文化。
それをないがしろにしておきながらなんでしょうね。

少しは恥じなさい。

情報やクチコミに飛びついていては、
マインドワインディングではありませんか、ハイ。

脱線おしまい!

さて20代学生の頃、禅に興味を持ちまして、
とくに坐禅は途切れ途切れながらも取り組んで来ました。
花道、茶道、武道、庭園にも禅の世界が入り込んでいます。

当時は正直はっきりとしていなかったのがこの齢になり、
やっと明確にいや「深まった」と言った方がぴたりとハマりますかね。
深まり出しました。

雑念を払おうとか、快適に過ごしたいとか、ぶれない自分になる
そんな理由もアリですが、むしろ何かに追い立てられている
「焦り」に抵抗するでもなく、乗り越えるでもなく、さらら流して
一時の精神・魂の静寂と感性の研ぎ澄ましには最適な手法だなぁと思っております。

まあ自慢から、これだけ文句言っておいて静寂どころか
説得力に欠けますが。

このあと、また座してココロのお稽古にゆらゆらと委ねますかね(*´σー`)エヘヘ

神奈川県稲村ヶ崎 月読寺坐禅セッションにてココロのお稽古をしました

住まいから90分程度かけて湘南・鎌倉方面にある稲村ヶ崎まで
出かけました。昔、映画の舞台にもなったサーフィンの聖地でもあります。

言わずもがな波乗りしに来た訳ではなく坐禅会があるというので。ハイ

道場までの道筋

坐禅と申しても雑念や煩悩を払って云々というものではなくて、
昨今ブーム(?)の瞑想とかマインドフルネスのようなものだとお考えいただければ
良いかと思います。

ブログにも書きましたがようやく「心静かに穏やかに」暮らす、生きるをテーマに、具体的ではないもののそちらの方向にシフトしようと自覚しましたものですから
行動、実践の一歩としたく参加した次第です。

会場は江ノ電の稲村ヶ崎駅を出て徒歩10分程度のところにある月読寺。

山間の住宅地を進みまして、右に曲がると

稲村ヶ崎

ぴゃあ〜〜!この急勾配。この日はユビグツこと愛用のヴィブラムを履いておりましたが、中々の足取り。帰りの下りの方がきつかったです。登り切るかどうかのところ
右手にありました。

さて、寺とつきますが建物は

稲村ヶ崎

このような感じでして、入り口も

月読寺

えっ!?マジでか??という佇まいww道場と申した方がしっくり来ますね。

言葉を発することは厳禁!?

さらに細い通路を登っていくと玄関がありまして入場。
靴はたくさんあるのですが・・・

シ〜〜〜〜〜ン

ユビグツ脱いであがると畳敷きの部屋に人がズラリ
すでに十数人いらしているとは思えない静寂ぶりでした。

目を閉じて座している人も多く、小池龍之介住職もいらっしゃいました。
(もちろん瞑想中。まるで寝ているかのよう・・・)

お話はしないようにと玄関に小さく書かれているとは言え
いらっしゃい、おはようございますの挨拶もなし!!
ここまでとは・・・さすがには面食らいました。

静寂にするというより禅道の考えでは話すことにより
心のざわつきが高まると考えられています。煩悩のむくむくと出てきますしね。
とくにセッション前だから、高ぶりあるままではとの住職のご配慮らしいです。

なので、とてもではありませんが写真は撮れませんァハハ・・(^д^;)

でも、伝家の宝刀!出でよ〜〜One Cam

とばかりに数枚は↓

月読寺学生さんらしき人 スーツ姿の方、本格派?作務衣姿の方 老若男女が参加。

月読寺
↑こーんなお座布?に座って、組むんですよ。

セッション開始!!

9時。まずは法話のような説法のようなお話を聞きます。
坐禅にあたり心構えやコツにつながるのです。
今回は今、この瞬間しか「現実」は存在しないにもかかわらず、あたかも
過去や未来を現実だと扱ってしまう人間、脳の働きについて。
過去は過ぎてもう「ない」未来は未だ「ない」。今というこの時だけがある。しかしながら、こうして「今この時」と言っているそばから、どんどん未来も過去に流れて、その過去さえも流れ流れて去ってゆく。
今と言っても刹那の瞬間、点に過ぎないのに映画のフィルムやパラパラアニメの
一コマ=切り取られた一枚の静止画(点)を連続して動いているようにしかも、
パターン化されて以前こうだったから次はこうなると勝手なる先読みーセブン!言えばイレブンと続けるみたいなwーまでもして脳が見せているのだそうです
( – -).。oO(     難しい)
タイムラプス動画編集機能。脳内iMovieで作られた映像を我々は見ている。眼前に打ち寄せ引いて行く波でさえフィクションの世界。現実ではない。今というのは点であり、刹那だから。過去も未来も存在していない=もうない、未だない=無→リアルではないという意味。

実際にあった、これからあると思っているのはあなたやわたし、人が留めておこうとする。つまり「執着」が起こっている。後悔や将来を患うのは今、刹那の瞬間にも過去、未来という無いものに「執着」しているからなのだそうです。

なんか煙に巻かれたような感はありますけれど(*´σー`)エヘヘ
この話を元に執着を放して、座することに。

何か物音がしても、瞬時に過去に流れる。次はこんなことー先述で言うとイレブンの部分ーが起きる思うのはフィクションなので、意識を向けず、ただなんか起きているな〜で流すとして、60分みっちり組みました。

気持ち良いというよりは体に変な力がかかっているな〜、ここの部分が痛いぞ!とかが明確にわかります。でも、その気になるところも一瞬の不快、苦痛であって、連続してずーっと続くわけではないというのは感覚ながら理解できました。痛みが続くと確かに勝手に自分が思い込んでいるなと。

ちゃろ思ふ故

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この後休憩挟んで、また坐禅を組みました。その前に別の説法、コツ話を聞かせてくださったのですが、ただでさえ文章にするのがうまく出来ないのにこの手の話です。結構、つかれました(●´ω`●)ゞ エヘヘ♪今エントリーではこの辺で。

わたし個人は頭と五臓六腑4:6でボンヤリ掴んでおる(つもり)のですが。あなたにお伝えするには「ごめんなさい」としかいいようありません。

今この時を精一杯生きる!とよく聞きますし、言っている人がおります。
坐禅セッションを体験して思うに「言うのは易し、行うー身を以てして理解、腑に落ちるーは難し」。刹那を捉えるのは理屈や頭では絶対無理無理っす!息詰まっちゃうw
そういうお気持ちで生きなさいよという、ハッパかけの言葉ですね。

「一日一生」が出来れば大成功ではありませんか。まずは自身が幸せ-仏道では満ち足りるを指すのだそうですが-であること。幸せであろうとの思いで十分ではなかろうかと思いました。よく生きるのは二の次٩(๑❛ᴗ❛๑)۶うまく生きるなんてもっと次〜〜〜!!